Q.教会の役員をしていますが、毎回の会議が長く、せっかくの安息日なのに疲れてしまいます。教会では効率を求めるべきではありませんか?(40代・男性)
概して、教会の会議は長いようです。教会では、「会議」が、議事を審議し決議する機関というよりは、「交わりの場」と考えられ、ゆっくりと時間をかけて話し合うのが良いとされてきたからではないでしょうか。もともと日本人は議論が苦手で、要点だけを簡潔に表現できず、一つの話題から次から次へと話しが広がってしまい、長い時間がかかってしまう傾向があります。
教会で「効率」ということを言うと問題になりそうですが、未信者の配偶者をもつ信徒も少なくありませんし、手の離せない子どもや要介護の家族を抱える信徒や、高齢の信徒・病気がちの信徒などのためにも、現実的に考える必要がありましょう。日本の教会では、会議と交わりとを、意識的に分けることが必要な気がします。
上は国会から、下は家族会議に至るまで、「会議」と名のつくものには共通して求められる「会議の五原則」がありますが、それを守ることも有用でしょう。①できるだけ短時間にする(無駄話などをしない)、②予告した時間に始まり、予定した時間に終わる(予定時間を超えると急速に苦痛感が高まります)、③あらかじめ議題と必要な資料を出しておく、④会議までに必ず議題と資料に目を通し、問題点や自分の意見をまとめておく、⑤当日に臨時の議題は出さない、です。
会議を効率的に進めるには議長の資質が必要ですが、議長がだらだらしている場合には、議場から「議事進行!」という声をかけることも必要かもしれません。また、信徒総会などの場合には、議題や問題点などを「事前アンケート」のような形で出しておくと、信徒の関心を引き出しやすく、集計しておくことで議事も短縮できるでしょう。討論や議決の必要のない報告などは印刷された資料でまとめ、会議では言及しないようにするのもよいでしょう。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
さくらい・くにお 1947年、三重県生まれ。名古屋大学法学部卒業、同大学院博士課程(民法専攻)、東京基督神学校、米フラー神学大学大学院神学高等研究院(組織神学専攻)、高野山大学大学院(密教学専攻)を修了。日本長老教会神学教師、東京基督教大学特任教授。著書に『日本宣教と天皇制』『異教世界のキリスト教』(いずれもいのちのことば社)、『教会と宗教法人の法律』(キリスト新聞社)ほか多数。