Q.「試験に受からせてください」「病気を治してください」という祈りは身勝手で利己的でしょうか?(10代・女性)
「試験に受からせてください」「病気を治してください」――そういうふうに、自分のお願い事をお祈りするのは、自己の利益を求めているわけですから、確かに利己的な祈りです。でも私たちが一番祈りやすいことは、願い事です。「これがうまくいくように」「あんなこと、こんなことが起こらないように」などなど、私たちの祈りの多くは利己的な願い事なのではないでしょうか。
教会学校では、よく「お祈りは神さまとの会話である」と教えます。確かに、会話は一方的に願い事を言うだけでは成立しません。でも、子どもが両親に願い事をすることがあるように、神さまに利己的な祈りをすることに問題はありません。
しかし、「大学に合格させてください」と祈りながら、まったく勉強しなかったらどうですか? 「病気を治してください」と祈りながら、治療を受けずに不健康な生活を続けたらどうですか? 自分がすべきことを怠って、神さまに自分の祈りを聞いてほしいと願うのは、身勝手な祈りです。
また、神さまに自分の答えを押し付ける、例えば「A大学に受からせてください、それ以外の大学ではダメです」という態度の祈りはどうでしょうか? これでは神さまに、こうしろ、ああしろと命令しているようなものです。
神さまは私たちの祈りに対して必ず答えてくださいますが、その答えは「Yes」であるとは限りません。時には「No」であったり、「ちょっと待て」であったり、あるいは「自分が一番いやだと思っていた答え」だったりします。そういう時に、どんな態度を私たちが取るのかが大切なのだと思います。
祈りが利己的かそうでないかは、大きな問題ではありません。自分の思っていることを素直に神さまに祈って、すべきことをしっかりとすることです。そして、神さまからの答えを受け止めることが大切なのだと思います。それがすぐには受け入れられない答えだった時にはつらいですが、少しずつ受け止めていけるといいですね。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
むらかみ・じゅんこ 慶応義塾大学文学部人間関係学科心理学専攻卒業。アメリカ・ホイートン大学大学院臨床心理学科修士課程、聖学院大学アメリカ・ヨーロッパ文化学科博士課程修了(学術博士)。中学校、高校のスクールカウンセラーを経て、現在、聖学院大学心理福祉学部心理福祉学科教授。公認心理師・臨床心理士。カウンセリングオフィスお茶の水にて心理相談も行う。