日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会(星出卓也委員長)は、昨年9月27日に実施された安倍晋三元首相の「国葬儀」を振り返り、「『国』による葬儀がなぜ問題なのか」と題する声明を5月23日、各教派・教会・団体に向けて発表した。
声明では、安倍元首相の「国葬儀」が、「自衛隊」「天皇」「遺族」の三つを前面に掲げたものであり、「国のために殉じた死を顕彰する演出がなされた」と指摘。「安倍政権下で強行された安保法制など、戦争の仕組み作りを『国のために貢献した偉業』として褒め称え、その死を『国のために殉じた死』として強調した演出は、『国葬儀』において靖国神社と同じ役割を演出する試みと言える」と述べた。
その上で、教会自身がかつて国や社会に迎合し、自らの信仰を戦争遂行に協力するための信仰に歪めてしまった歴史を振り返り、「歴史の反省に立ち、どのような時にも神の言葉にだけ立つ教会となることが、今日の教会形成と宣教の重要な課題」だと主張。同時に、政府が再び戦争準備のために宗教を利用しないよう注視し警告する見張りの役目を果たし続けなければならないと強調した。
声明の全文は以下の通り。
「国」による葬儀がなぜ問題なのか
各教派・教会・団体の皆さま
2022年9月27日に強行実施された、「安倍元首相の国葬儀」を改めて振り返ります。そのことで、日本のキリスト教各教派・教会・団体に深く関わる問題を明らかにし、日本での教会形成・福音宣教の使命に照らし、課題を共有したいと願います。
1.「国葬儀」において演出された「自衛隊」「天皇」「遺族」
中継から一番に感じたのは、自衛隊が突出して目立っていたことです。安倍晋三氏の遺骨を乗せた柩車は市ヶ谷の防衛省に立ち寄り、防衛省職員に見送られ、会場の武道館では自衛隊員に迎えられました。遺族の安倍昭恵氏は遺骨を両手に抱え、陸上自衛隊特別儀仗隊の演奏と空砲に送られつつ会場へ向かう厳粛入場の絵が演出されました。当日は1390名もの自衛隊員を動員。昭恵氏入場の際には19発の空砲を20秒間隔で鳴らし、儀仗隊の演奏に導かれて遺骨と共に静々と入場しました。遺骨は、岸田首相から儀仗隊へと手渡され、祭壇の一番高い位置に敬礼をもって安置されました。その後一同起立の中、皇族、上皇の勅使、天皇・皇后の勅使の順で入場し、最後の天皇の勅使が着座するまで、全員起立で迎えたのです。
続いて、日の丸の映像がクローズアップされての「君が代」演奏、そして大勢の儀仗隊が会場の中央をぞろぞろと行進、着剣捧げ銃の敬礼をする中、「黙祷」が行われました。そこで陸上自衛隊中央音楽隊が演奏したのが、「国の鎮め」という靖国神社参拝に用いる軍歌でした。歌詞こそは歌われませんでしたが、「国の鎮め」の歌詞は、「国の鎮めのみやしろ(御社)と、いつき(斎)まつろふ、神霊(カムミタマ)、けふ(今日)の祭の賑(二ギハ)ひを、天(あま)かけりてもみそなはせ、治まる御代を守りませ。」です。
そして「国葬儀」のクライマックスの、天皇の勅使による遺骨・遺影への拝礼へと続きます。そこでは「悠遠なる皇御國(すめらみく)」が演奏されました。「すめらみくに」とは、天皇が治める国という意味です。「国葬儀」は、勅使・皇后宮使、上皇使・上皇宮使の拝礼、秋篠宮以下の皇族の供花、最後に参列者の献花という次第で進行しました。この「国葬儀」で演出されたのは、自衛隊の関わり、国のために殉じた者として高い位置に掲げられた遺骨、涙を流す遺族、そして天皇の勅使が、国に殉じた者を拝礼し、国のために殉じた者が最高の栄誉に与るという絵でした。
2.再現された国に殉じた死の顕彰、新たなヤスクニ
このように、「自衛隊・天皇・遺族」の三つを前面に掲げ、国のために殉じた死を顕彰する演出がなされたことを見、靖国神社と全く同じ役割を持っていたことを感じました。
日中戦争からアジア・太平洋戦争に至る時期は、数千から数万単位で大量の戦死者が靖国神社に合祀される「臨時例大祭」が繰り返されました。その際、愛する家族を戦死によって失った遺族たちの痛みと悲しみを、靖国神社に「英霊」として合祀することを通して、その死を名誉ある死とし、遺族たちの悲しみにも名誉ある死との意味が付与され、慰めと感激の感情に変えていきます。これが、「国のために命をささげる」という死の意味を国民に付与するヤスクニのシステムです。戦没者の家族が「誉の遺族」とされる経緯の中で、大切な家族を失った不幸と苦しみの感情が、名誉ある死に与ったという喜びの感情に転換させられ、今度は遺族たちが、国のために死ぬことを推進する者となります。この「国のために死ぬ」という「死」の意義を教化する働きを担ったのが靖国神社です。それはさらに戦争に協力する精神を準備する役割でもありました。
安倍晋三元首相の死は、「戦死」ではありません。しかし、安倍政権下で強行された安保法制など、戦争の仕組み作りを「国のために貢献した偉業」として褒め称え、その死を「国のために殉じた死」として強調した演出は、「国葬儀」において靖国神社と同じ役割を演出する試みと言えるでしょう。安保関連三文書の閣議決定以降、軍備費増強等の戦争準備の仕組みが近年急速に推進されています。やがて戦死者が出る準備として、「国のために殉じた死」を顕彰する靖国の役割が、「国葬儀」を通しての予行練習であり、大きな宣伝活動であったと言えます。
3.教会が本来の信仰を「戦争推進のための信仰」に歪めること
上記で「国葬儀」が戦争遂行の精神的準備として「第二の靖国」の役割を果たす問題を指摘しました。同時に、教会自身が戦争を遂行する国や社会に迎合し、自らの信仰を戦争遂行に協力するための信仰に歪め、靖国神社と同様の役割を果たした歴史を覚えなければなりません。
1940年10月17日の「皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会」は、神嘗祭の日に神武天皇即位紀元2600年を記念するため、青山学院に2万人のキリスト教信徒を集めて開かれました。大会は宮城遥拝の国民儀礼で開始し、この日のために創作された天皇を賛美する「讃美歌」が歌われました。大会は、「吾等は全基督教会の合同の完成を期す」と宣言し、それに基づいて日本基督教団が成立します。その後会衆は、こぞって明治神宮に参拝しました。
司会者の富田満牧師は「開会の辞」で、「皇統連綿という無比の歴史に意味があり、日本人の誇りはここにある。キリストの十字架の精神こそ滅私奉公という精神に最も近い」と趣旨を語っています。今泉真幸牧師は、「二千六百年の昔に、神武の御門が大和の国をはじめ、皇国の基をすえたまいしことを感謝し奉る。爾来二千六百年の間、列聖相継いで皇国を知らしめ給い、大八洲(おおやしま)の民草(たみくさ)広く深くその御恩に与かりしことを感謝し奉る。将士に一死報国の精神をあたえ、真にあなたの息子息女となることを得しめ給え。斯くすることに由って大君の赤子(せきし)にふさわしい者とし、皇国の民草としての忠誠を全うさせてくださるように。」と祈り、千葉勇五郎牧師も「一心一体祖国の使命達成のために、御国建設の為に、我らの身も魂も尽くすことをゆるしてくださるように。新しき天と新しき地を地上に実現する者となることができるように。」と祈りました。ここでのキリスト教信仰は、本来の信仰から「大東亜戦争のために役に立つ信仰」へと歪めたもので、教会自身が国の遂行する目的のために有用な教会へと変容し、戦争に貢献する精神性を養うための信仰に自ら迎合したことに他なりません。再び戦争を遂行しようとする国や社会の動きの中、教会の信仰がまたもや「国の戦争遂行のために役に立つ信仰」へと歪める道を歩むのか、それとも「国や他の何ものにも利用されず他の何ものにも依存せず、神の言葉にだけ立つ独立した信仰」を守り続けるのかが問われます。歴史の反省に立ち、どのような時にも神の言葉にだけ立つ教会となることが、今日の教会形成と宣教の重要な課題です。
同時に教会は、政府が再び戦争準備のために宗教を利用しないよう、政教分離原則を空文にしようとする動向に注視し警告し続け、教会の信仰が時の動向に利用されず、自らの信仰を歪めないことと深い関係にあるものとして、見張りの役目を果たし続けなければなりません。
2023年5月23日
日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会
委員長 星出卓也