イギリス内務省の2022年末の統計によると、この2年間で「イギリス海外市民」の資格を持つ13万人の香港人に対し、イギリス・パスポートが交付された。筆者が働くノッティンガム大学近辺でも、広東語を耳にするようになった。従来は香港人が少なかったこの街ですらこうなのだから、イギリス各地で香港人が急増しているのは想像に難くない。
1960年代の移民に比べると、近年の香港人移民は英語の面での支障はないが、文化適応とアイデンティティが最大の問題となっている。
移民教会の特徴として、母国の文化を守ることに重きを置く傾向がある。もちろん、文化を継承することは良いことだが、文化は常に変化することに注意する必要がある。また世代が違えば、理想とする香港文化の定義も大きく異なる。イギリスの香港人教会あるいは華人教会は、2010年代に「雨傘運動」や「逃亡犯条例改正反対運動」を経て政治的に覚醒した文化を残すべきなのか、それとも1980年代の「食べていくためにだけ働く」という文化を残すべきなのだろうか。さらに移民教会は、信徒の信仰を養い、自分たちのコミュニティを形成しつつも、イギリス社会と無縁状態に陥らないためにはどうしたらよいのだろうか。
文化適応の過程は、人々のアイデンティティにも影響を及ぼす。海を越えて移動する中で、アイデンティティが揺さ振られるのは避けがたいことなのだ。しかし、異国の地で自分のアイデンティティをどのように定義し再形成するかという問題は、今後、在英香港人キリスト者が直面する大きな問題である。
キリスト教と文化の関係を論じたリチャード・ニーバーの理論を例にとると、多くのアジア系キリスト者にとって「文化に対立するキリスト」が最も一般的なモデルだろう。というのも、キリスト教はほとんどのアジア諸国(フィリピンと韓国を除く)において主要宗教ではないため、アジアのキリスト者は現地文化を異教として扱うことが多いのだ。しかし残念ながら、こうした考え方は、キリスト教が依然として人口の46.2%を占めているイギリスに適用するのは、必ずしも適切とは言えない。
よく取り上げられるもう一つのモデルは、「文化を変革するキリスト」だ。このモデルは、創造の善性を信じ、たとえ人は神に対して罪を犯しているとしても、キリスト者は神が召してくださった文化的働きに忠実であることを通して既存の文化を変革できる、と考える。多くの香港人キリスト者の団体がウクライナの難民を支援しようとしていたり、「UKHK」(香港人移民を支援するNPO)がイギリスのさまざまな教会と協力して、新しい移民を歓迎するフレンドシップ・フェスティバルを催したりしているのも、変革モデルの一つと言えよう。
文化は常に変化するものであり、キリスト教文化も同様だ。イギリスの香港人牧師・信徒が、香港にいたころの教会的伝統を守りたいと思うのは悪いことではないが、単なる文化の直接的移植では信仰を深めることができず、他の人をつまずかせることにもなりかねない。最も危険なのは、イギリスに長く住んでいる牧師が、かつて神学校で学んだ神学だけに依拠し、世界が変わり、神学も絶えず新たにされていることに気づかないでいることだ。牧師が説教壇でまるで香港国家安全維持法とは無関係の別世界に生きているかのような感覚で語っていることに驚くことがある。牧師が自分の世界だけを生き、時代の変化を受け入れようとしないならば、信徒たちの諸課題への向き合い方にも悪影響を与えてしまうだろう。
パウロはローマ書12章の冒頭で「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と述べているが、華人牧師は「この世に倣ってはならない」という点ばかりを強調し、「心を新たにして自分を変えていただく」というのも重要な教えであることを忘れている。
この激動の世界でアイデンティティが砕かれ、そして再形成される過程において、聖霊の導きと、主の憐れみを祈らずにはいられない。(翻訳=松谷曄介)
カリダ・チュウ 香港出身の神学者。ノッティンガム大学の神学・宗教学部講師。アメリカのフラー神学校で修士号、イギリスのエディンバラ大学神学部で博士号取得。同大学神学部講師を経て、2022年から現職。主な研究テーマは、1997年の香港返還以後の公共神学。