構想10年。北海道から沖縄、五島、奄美、小笠原まで全国の教派の異なるキリスト者延べ135人から聞き書きした1000ページを超える「証し」の数々――。『青いバラ』『星新一』など、独自の視点で現代の諸相を取材、執筆してきたノンフィクションライターの最相葉月さんが、6年がかりで取り組んできたテーマは日本で1%未満の「キリスト者」だった。
クリスチャンの個人的な信仰告白――「証し」という一般にはなじみの薄い概念をタイトルに掲げた大著が、一般の大手出版社であるKADOKAWAから刊行されたことで、教会関係者の間でも大きな話題となっている。東京・銀座の教文館で3月21日に催された講演会にも、同書で取材を受けた信徒を含め約100人が参加し、関心の高さをうかがわせた。
各章の見出しには「回心」「洗礼」「献身」「奉仕」「赦し」といった用語が並ぶ。さらに、「差別」「政治」「運命」など、日本社会が直面する課題にも迫る。とりわけ終章の「コロナ下の教会、そして戦争」は、教会が置かれた現状を客観的に描写した上での問題提起にもなっており、キリスト者にとっても示唆に富む内容だ。
「無名の信仰者に光を当てたかった」と語る最相さん。長年にわたる取材から見えてきたキリスト者の姿とは? 21日の講演を前に話を聞いた。
〝まずは扉を開けてほしい〟
教会の「証し集」には載らない本当の「証し」
■思いがけない長期取材
――「キリスト者」をテーマにしようと考えた理由から教えてください。
最相 『ナグネ――中国朝鮮族の友と日本』(岩波新書)という作品で書いた、ある中国朝鮮族の女性と長い関わりがあり、彼女が中国の地下教会のクリスチャンだったことから、事あるごとにキリスト教の話を聞かされていました。
また、『セラピスト』(新潮文庫)で「心の病」の取材をしていた時に、カウンセリングの起源が占領下の日本で活動したアメリカ人宣教師の息子だったことなど、キリスト教との接点に触れる機会がたびたびあり、信者の方々を訪ねて直接話をお聞きしたいと思い至りました。
――むしろ私たちの業界が出すべき本を、先に出されてしまったという敗北感を覚えました。キリスト教専門出版社が同じテーマで書籍化したら、こういう本にはならなかったと思いますし、最相さんだからこそ引き出せた話もたくさんあったと思います。
最相 確かに、教会で聞く話は良い話ばかりで、本当に心の内を正直に話されているのかという疑問は常にありました。教会でいただく「証し集」を読んでも、一つひとつの具体的な事実は貴重な記録なのですが、何か重要な論点をずらしていたり、本当は書かなければいけない部分が削除されていたりと感じることもしばしばでした。活字にはなっていない、本当の証しを聞いてみたいという願いは一貫していたと思います。
ただ、タイトルの「証し」という言葉も取材をする中で初めて知ったので、「証しを聞かせてください」という聞き方はしておらず、クリスチャンとしての歩みを聞いた内容が、結果的に教会の中では「証し」と言われるものだったという流れです。
――当初からどんな本になるかイメージされていたのでしょうか?
最相 アメリカのノンフィクション作家、スタッズ・ターケルや、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ、国内では『「在外」日本人』(講談社文庫)や『がん患者学』(中公文庫)の柳原和子さんなど、多くの人の証言を集めるというノンフィクションの系譜があるので、とにかくキリスト者の話をたくさん聞くつもりで取材を始めました。
ただ、これほど長期間で、ここまで厚い本になるとは思っていませんでした。聞き歩くうちに行くべき場所、会うべき人が次第に増えてきて、紹介していただくうちに膨れ上がったという感じです。その意味で計画性はありませんでした。礼拝だけお邪魔したという教会も含めれば、かなりの数に上ると思います。
人選に際しては、教派を超えて、さまざまな立場の人に聞くということ、ご自身で著書を出すなど何か発信をされている有名な方を除くということだけは決めていました。晴佐久昌英神父は例外で、カトリック、プロテスタントを問わず行く先々で影響を受けたという方が多かったので、やはり本人にお会いしなければと思い、取材させていただきました。
――取材の際に心掛けていたことなどはありますか?
最相 教会用語は一般の読者に分からないので、信者の間で当然のように共有されているキリスト教特有の概念も、その人自身の言葉で語り直してもらうように努めました。
例えば「神の声が聞こえた」というフレーズにしても、実際に肉声が聞こえたのか、幻聴なのか、み言葉が頭の中にひらめいたのか、たまたま開いた聖書で見つけただけなのかと疑問に思うわけです。教会用語を多用されるクリスチャンの方々と話していると混乱することがあるので、普通の言葉で聞き直すという作業を繰り返す取材でした。
――ご苦労も多かったと思います。
最相 無名の方々の取材なので、ホームページから探したり、牧師に紹介してもらったりしてお会いするのですが、当初は「私なんて何も……」とおっしゃる方がほとんどです。でも、話を聞いてみると一人ひとり実に多様で貴重な体験をお持ちであることが分かります。
――「赦し」の問題で悩む被害者の証しが印象的でした。身近な牧師や家族には言えないという話もあったと思います。
最相 事情があって匿名を希望された方が4人いらっしゃいました。活字になってから匿名を希望された方もいます。取材はしたものの載っていない話も少なくありません。刊行されてから、家族でもお互いそんなことを考えていたとは知らなかったという反応もありました。
■第三者から見たキリスト教
――取材前のイメージと変わったことはありますか?
最相 当初は先入観がないまま、私は「器」として話を聞くことに徹しようと決めていました。『ナグネ』に書いた友人に連れられて、聖霊派の教会で熱狂的な祈りを聞いた時には怖いと思って身構えていましたが、異言を語る人にもその人なりの意味があるなど、話を聞くうちに疑問が解けていきました。クリスチャンだからといって特別な場所、別世界に生きているわけではなく、社会と同じような問題が教会内でも起きているという側面は発見でした。本の中にも書きましたが、牧師の離婚は衝撃でしたね。
――ご自身の信仰に対する考えは?
最相 私が誰かの信仰についてどう思うかということを論評することはせず、ありのままを受け止めようと思っていました。一点、キリスト教の中で言えば、異端であれ正統であれ、何かを信じるという意味では変わらないと思っています。他の教派を排除して自身の正統性を強調することは、一歩間違うと自分たち自身がカルト化しかねません。そういうところから差別が起こっていくのではないでしょうか。
――第三者の視点で見た教会への助言などありませんか?
最相 いろいろな教会があって、さまざまな取り組みをしている事例を紹介することはできると思います。本書でも登場する「MEBIG」という独自の日曜学校プログラムを展開する米子福音ルーテル教会や、北九州では日本基督教団とバプテストとカトリックまで、教派を超えて一緒に礼拝をささげているという事例もあります。
若い方がおられない教会では、自分たちの代で閉じるという覚悟を感じることもあります。数少ない若者に、期待と愛情と重圧がかかってしまうという気の毒な状況も容易に察することができます。
――宣教の「失敗」を嘆く傾向もあります。
最相 儀式的なものを経ないと信者と言えないのであれば、「成功」とは言えないかもしれませんが、熱心な無教会の方々にもお会いしてきたので、私は逆に洗礼だけ受ければいいのかと思ってしまいます。
■宗教をめぐる昨今の状況
――宗教を取り巻く状況については、どのようにお感じになっていますか?
最相 信仰は、ともすれば信仰しない人への攻撃や排除につながっていきます。彼らを異端だと言って二分化することは議論として得策ではないと思います。「宗教2世」の苦しみなどは、教会の中でも問い直す必要があるでしょう。
――やはり『証し』のような本を通して宗教に触れることが、免疫力を高めることにもつながりますね。
最相 社会がふたをしようとして、余計に分からないから次の問題が引き起こされるのだと思います。
私自身は幼いころ、キリスト教系の幼稚園でお祈りしていたことがあるので、ユーミン(松任谷由実)の「やさしさに包まれたなら」にある歌詞「小さいころは神さまがいて」がとてもよく分かるんです。大人になるにつれて離れていくわけですが、教会が地域に門戸を開いてクリスマスやイースターの意味について話したりするのは意義があると思います。信者にしようというのはまた別の話で。
「まずは扉を開けてください」とお願いしたいですね。私がそれで苦労しましたから(笑)。
――貴重なお話をありがとうございました。
(聞き手・松谷信司)
*全文は紙面で。
【講演会での質疑応答より】
Q.副題を「クリスチャン」ではなく「キリスト者」とした理由は?
A.書名は日本語にしたかったので、あえて「キリスト者」とした。「キリスト者」は、キリストに仕える者、倣う者という意味を体現できる素晴らしい呼称。
Q.クリスチャンからの反響は?
A.同じ教派の「証し」だけ読んで満足している人や、「あとがき」だけ読んで手に取るのをやめる人がいるらしい。目次、構成にも意味があるので全編読んでほしい。
Q.取材の過程で洗礼を受けようと思ったことは?
A.取材対象であるキリスト者との出会いから感化を受けることはあるので、何度もある。ただ、そのことと取材は別と意識してきた。洗礼を受けてしまうと見えなくなることもあると思う。
Q.牧師や神父へのアドバイス。
A.牧師や神父は重荷の多い仕事。ご自身だけで背負い過ぎない方がいいし、事例によっては祈りではなく医療に頼った方がいいと思うこともある。
『証し 日本のキリスト者』KADOKAWA 四六判 1,096頁 3,498円
さいしょう・はづき 1963年、東京生まれの神戸育ち。関西学院大学法学部卒。科学技術と人間の関係性、スポーツ、近年は精神医療、カウンセリングをテーマに取材。97年『絶対音感』で小学館ノンフィクション大賞。2007年『星新一 一〇〇一話をつくった人』で大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞、日本SF大賞、08年同書で日本推理作家協会賞、星雲賞。ほかの著作に『青いバラ』『いのち 生命科学に言葉はあるか』『東京大学応援部物語』『ビヨンド・エジソン』『セラピスト』『ナグネ 中国朝鮮族の友と日本』、エッセイ集に『なんといふ空』『最相葉月のさいとび』『最相葉月 仕事の手帳』『辛口サイショーの人生案内』、児童書に『調べてみよう、書いてみよう』、共著に『未来への周遊券』『心のケア 阪神・淡路大震災から東北へ』『胎児のはなし』など。