ボーダーは開かれても…まだ 小出雅生 【この世界の片隅から】

荒れ野に叫ぶ者の声、それを読んだ高校生の時、はじめはすごい肺活量なんだと思った。だが、その背後に割れるような悲しみがあったであろうことはその時の私は気がつかなかった。今、冬の薄曇りの空の下、「荒れ野」に叫ぶ声なき声を思う。

去年の11月後半あたりからそれまでのコロナ対策の規制が徐々に緩和・撤廃され始めた。日曜日のミサでも聖堂の座席定員の80%以下になるように空席を作り、入堂の際も政府の濃厚接触者追跡アプリ「安心出行」のQRコードをスキャンし、体温検査をした後、アルコール消毒をしてから聖体拝領も行われていた。それがやっとクリスマスのころに段階的になくなっていった。そして、相前後して日本でも外国人の入国や事前登録の電子化などが進み、香港からもクリスマスや年末の休暇を利用して、日本へ行く人も増えたようだ。

SNSなどで久しく行けなかった日本での写真が〝盛られる〟半面、あの抗議活動以来、長い長い3年間の後、緊張が緩んだのと同時になんだか「揺り戻し」のような精神状態に陥った話も耳にした。特に、すでに移住した友人・家族との再会した写真の表情には積もる話や話せない話があふれ、香港では見られなくなった「香港映画」を見た人もいて、改めて複雑な感慨を抱いたのを覚えている。

旧正月の元旦ミサの後、教会周辺に現れた屋台。今年は取り締まりもゆるそう。

旧正月が近くなると、今度は、長らく閉鎖されていた香港と中国側とのボーダーが再開され、鉄道なども運行されることが決まった。家族・親戚との待ちに待った再会、留学で離ればなれになっていた恋人との再会など報道では、涙ながらの感動が強調されていた。

同時に、ボーダーが開かれるニュースが流れた直後、スーパーやドラッグストアから、風邪薬や解熱剤、頭痛薬に胃腸薬などが瞬く間に売り切れた。おそらく、中国国内では入手できない海外産の薬を親戚などに持ち帰りたいということなのだろう。

そして、ボーダーが開かれると、今度はコロナ・ワクチン接種場に長い行列ができ、中国国内では接種できない外国産のワクチン接種を受ける人の姿が報道されていた。

この3年間、コロナで中国側とのボーダーが閉鎖されていた。そのため、抗議活動が盛んだった時によく叫ばれたスローガンの通り、「香港がよみがえり」人通りが少なくなったとはいえ、街の人の手に戻ってきていた。街の中で話される言葉はほぼ広東語に戻り、新たな広東ポップや広東文学が盛り返し、昔の香港の写真集が多く出版され、さらに昔風のインテリアを配した飲食店も増えていった。激しかった衝突から、ノスタルジックな思いに浸ることで、変わった街といなくなった人々を思い出しながら、癒やしの時間をもっていたのだろう。

民主派47人の裁判が始まった西九龍法院の外。以前は、裁判所から出てきた護送車に声援を送る人々が待ち受けていたが、それも今は 難しい。

今、再び動き出そうとしている。経済的にも動き出さなければならない。去年の香港はGDPでマイナス3.5%を記録した。多くの人が移民で出ていき、人手不足も深刻である。香港政府も、多くの人に香港に来てもらおうと「ハロー香港」キャンペーンを始める。

この数週間、街中で旅行カバンを引きながら北京語を話す人を見かける機会が増えている。そして、そういう人たちとすれ違うたびに、周囲の微妙な緊張感にも気づく。ボーダーが開かれても、心の中のボーダーを乗り越えるには、やはりまだ痛いのだ。

去年逮捕され、海外への渡航禁止処分を受けていた陳日君枢機卿が特別許可を裁判所に申請し、前教皇の葬儀へローマに向かわれた。ただ、葬儀の後、陳枢機卿が体調を崩されたとのこと。生き証人の領域に入られた枢機卿、早く、また元気な姿を見せてほしい。

 

こいで・まさお 香港中文大学非常勤講師。奈良県生まれ。慶應義塾大学在学中に、学生YMCA 委員長。以後、歌舞伎町でフランス人神父の始めたバー「エポペ」スタッフ。2001年に香港移住。NGO勤務を経て2006 年から中文大学で教える。

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