今年1月1日に逝去した池明観(チ・ミョンガン)氏(元翰林大学日本学研究所長)の思想と実績を振り返る「追悼の集い」が5月14日、富阪キリスト教センター(東京都文京区)で開催され、オンラインによる配信を関係者ら約170人が視聴した。池氏は軍事独裁政権下に日本へ逃れ、1973~88年、岩波書店の月刊誌「世界」に「T・K生」の名で「韓国からの通信」を連載。隅谷三喜男氏(東京大学教授)、和田春樹氏(東京大学教授)、森岡巌氏(新教出版社社長)、韓国問題キリスト者緊急会議に連なる牧師の中嶋正昭氏、東海林勤氏ら日韓のキリスト者による支援を受けながら、韓国での人権抑圧や民主化運動の実態を世界に伝え続けた。
集いでは戒能信生氏(日本基督教団千代田教会牧師)の司式による追悼礼拝に続き、「池明観先生の回顧と遺されたもの」と題し、李三悦(イ・サミョル)氏(対話アカデミー理事長)、李起豪(イ・キホ)氏(韓神大学教授)が講演。岡本厚氏(元「世界」編集長)、徐正敏氏(明治学院大学教授)が応答した。
李三悦氏は、池氏が日韓関係の改善と和解に果たした役割の大きさに触れ、特に池氏の尽力で実現した1995年の日韓シンポジウム「解放50年、敗戦50年」(ソウル・クリスチャンアカデミー、東京・岩波書店の共催)を「歴史的な出会いとなった」と振り返り、河野談話、村山談話、韓日パートナーシップ共同宣言にも、池氏の隠れた功労があったと述べた。
池氏を「境界を越える旅行者」「考えて行動する知識人」と評した李起豪氏は、その「召命意識」に触れ、「いかなる場合でも、人間の自由が抑圧されないという信念と、神の国の義が実現されなければらなず、このようなことがなされた時に平和が訪れるという信仰を持っていた」「(同氏の活動は)一貫して時代の挑戦に対する応戦だった」と語った。
信仰を持たない岡本氏は、池氏とキリスト教に関わる話をすることがなかったものの、「厳しい現実を見つめつつ理想を失ってはならない」「志をともにする人々と幻を求めて生きなければならない」「シラケに陥ったり、シニシズムになるのは人間性の喪失」という「召命」に「揺るがない基盤があった」とし、「自由・正義・平和、日韓の真からの和解と友好への志、時代を生きる姿勢を今こそ継承しなければ」と呼び掛けた。
徐氏は忘れられない言葉として、日韓の境界を生きることができたのは「自分の能力によるものではなく、ただ両国間に河の水のごとく流れる友情の波間の上に浮かび、揺られる小さな船のようなものに過ぎなかった」という池氏の発言を紹介し、研究の面でも多大な影響を受けたことに触れつつ、昨年末に出版した『東京からの通信』を披露できなかったことを悔やんだ。
他に、礼拝で奏楽を担当した崔善愛(チェ・ソンエ)氏(ピアニスト)が故人を偲び、ショパン作曲の「別れの曲」を演奏。故人と親交のあった関田寛雄、藤田英彦、高里鈴代、前島宗甫、樋口容子、隈元信一、李清一(イ・チョンイル)、山口万里子の各氏がそれぞれ追悼の辞を述べた。遺族を代表して長男の池亨仁(チ・ヒョンイン)氏があいさつ。富阪キリスト教センターから運営委員長の廣石望氏、総主事の岡田仁氏があいさつして集いを閉じた。