二つの追悼記念日 山森みか 【宗教リテラシー向上委員会】

イスラエルでは、春の過越祭が終ると二つの追悼記念日がある。まずホロコースト記念日(ユダヤ暦ニサンの月27日、今年は西暦4月27日日没から)、その後戦没者追悼記念日(イヤルの月2もしくは3日、今年は5月3日日没から)が来る。いずれの記念日も、その夜は映画館などの遊興施設が閉まり、各地で追悼式典が行われる。コロナ禍でこの2年間、式典は主としてオンラインで行われていたのだが、今年は対面での式典に戻った。ポーランドの収容所跡でも、規模は縮小されたもののホロコースト生存者たちも参加する「生者の行進」が再開された。また私が勤務する大学でも、授業を1時間休みにして戸外で式典が行われた(出席は自由だが、その間学内のカフェなどは閉まる)。

今年のホロコースト記念日で議論を集めたのは、現在ウクライナの人々が直面している困難とホロコーストとの比較であった。ポーランドでの「生者の行進」では、ウクライナでの死者のために黙祷がささげられたのだが、参加していたホロコースト生存者の中にはウクライナとホロコーストは比較すべきではないと明確に表明する人々がいた。

学内戦没者記念日献灯台

それに先立って、ウクライナのゼレンスキー大統領はイスラエルの国会に向けたスピーチで「最終的解決」という言葉を使い、ウクライナの運命とホロコーストにおけるユダヤ人の運命を重ねた表現でイスラエルからのさらなる援助を求めていた。その表現に対してイスラエルの閣僚たちもホロコースト記念館も、ウクライナへの援助の必要性は認めつつ、強く反発した。

ホロコーストを経験したユダヤ人にとってナチスとホロコーストは唯一無比のものであり、他になぞらえられないというのが譲れない一線なのである。その一方で私が出席したテルアビブ大学での記念式典では、歴史学の研究者が「両者が比較できないという点はもちろんそうなのだがそれはそれとして、突然家を追われ、行く当てのない避難民の目に浮かぶ不安は、我々がたどってきた道と同じであり、それに対して我々は同情し、できる限りの援助をすべきだ」とスピーチしていたのが印象的だった。

学内ホロコースト記念日

戦没者記念日は、3月から激化したパレスチナとの攻防戦で双方に次々に死者が出ている状況で行われた。ここで言う戦没者の中には、テロで命を落とした人たちも含まれる。今年の追悼式では、壇上のベネット首相に対して「詐欺師! 裏切り者!」と罵声を浴びせる遺族たちの姿があった。彼らはつい数日前に家族を亡くした人々だった。

ベネット政権には極右と呼ばれるユダヤ政党が含まれている一方で、アラブ政党も参加しており、その不安定さは当初から指摘されている。その遺族たちにとっては、アラブ政党がその政権に加わっていること自体が「裏切り」であり、彼らに配慮した「手ぬるい」政策が自分たちの家族に死をもたらしたと見なされているのであった。ベネット首相は一言も反論せずそのすべての罵声を胸に手を当てて聞き、「遺族は聖なるものである、痛むことも叫ぶことも許されている」と述べた。

実際にとても辛い体験をした人の声は、ただ黙ってうなずきながら聞くしかないことがあるのだろう。その悲痛な声は、正当だとか正当ではないとかいう判断の外にある。それはそれで尊重されなければならない。だが「それはそれとして」という少し距離を置いた立場もまた、必要なのだということを改めて考えた二つの追悼記念日であった。

 

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

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