1872年3月9日、カナダ長老教会の宣教師、ジョージ・マッカイ(1844~1901年)が淡水に上陸し、台湾北部での長老教会の伝道が始まった。彼は29年間台湾北部で宣教活動を行い、3000人以上に洗礼を授け、60の教会を設立し、二つの学校と西洋式の診療所を設立した。1901年6月2日、マッカイは淡水で亡くなり、その伝説的な宣教活動を終えた。台湾や中国には使命感をもって神の福音を宣べ伝えた宣教師が多くいたが、マッカイほど成功した人は少なく、また彼の宣教方法も特殊であった。
確かにキリスト教は、排他性が比較的強い宗教であり、十戒にも「あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない」「あなたは自分のために彫像を造ってはならない」と明記されている。しかし、こうした偶像崇拝は台湾人にありがちな多神教的宗教習慣であり、現代の宣教師にとっても大きな障害になっている。
それにもかかわらず、マッカイの宣教活動が成功した第一の要因は、彼は宣教の過程で台湾人が信じている神々を直接批判することはせず、「新しい全能の神」を代替案として提示する方法を試みたことであった。(聖書の)神を信じさえすれば、「媽祖(まそ)」(航海・漁業の守り神)、「関公」(関羽公)、「土地公」(地元の民間信仰の神々)といった神々は不要であり、神がすべてを統べ治めることができるからである。
第二の要因は、マッカイは台湾人の健康問題の解決の必要性を感じ、「歯の治療」(抜歯)を通じて土地の人々と親しくなり、キリストの福音を伝える機会を増やしたことである。このことは彼の日記や回想録にも頻繁に登場し、彼自身にとっても非常に印象的な出来事であったことが分かる。当時の台湾では虫歯やマラリアが多発しており、これらの問題を少しでも解決できれば、宣教活動に大きく役立つと、彼は鋭く見抜いていたのだ。
マッカイの旅行の「標準作業手順」(Standard Operation Procedure=SOP)は非常に興味深いものであった。彼は通常、誰もいない場所や人通りの多い場所に赴き、自分の教え子の学生たちと讃美歌を歌い、人々の関心を引き、その後、教え子たちと一緒に、列を作って待っている台湾人のために無料で抜歯をし、抜歯後にはその歯を当事者に返し、それに引き続き、神の福音を説き始めるのだった。台湾人は実利的であるため、抜歯が無料だというなら、この「外国人の先生」の話を聞いてみようということになるのだ。実に抜歯と薬配布というSOPが、台湾北部における宣教の基礎を築いたと言える。「片手に聖書、片手に〔抜歯用の〕ペンチ」というマッカイのイメージが、今日に至るまで台湾社会に残っている。
仮に「投資」という観点から見るならば、マッカイは当時の台湾人の物理的なニーズを見抜き、そこから宣教の「市場」を作り出したと言える。そしてこれは、実に並大抵のことではない。というのも、当時の台湾や中国大陸にも有能な宣教師は多くいたが、彼ら・彼女らはマッカイのようなSOPは確立していなかったからだ。またマッカイは医学の学位を取得していないにもかかわらず、医療専門の宣教師ができないことを多くやってのけたというのは、非常にユニークなことであった。
福音宣教はキリスト者の使命であるが、実際の環境と折り合いをどうつけるかは、いつの時代であっても注意深い観察と知恵が必要である。台湾北部における長老教会創立150周年を迎えた今日、私たちがマッカイの台湾宣教モデルに学ぶのは、価値あることだろう。(翻訳=松谷曄介)
てい・ぼくぐん 1981年台湾台北市生まれ。台湾中国文化大学史学研究所で博士号取得。専門分野は、台湾史、台湾キリスト教史。現在、八角塔男声合唱団責任者、淡江大学歴史学部と輔仁大学医学部助教、台湾基督長老教会・聖望教会長老、李登輝基金会執行役員、台湾教授協会秘書長。