3月に行った「第2回島しづ子作品展」の最後に「ジャズから琉歌まで」と題するライブを開催しました。ゲストとして稲福哲雄さん(三線・サックス・漫談)、大城奈月さん(キーボード)、リチャード・べんとなーさん(ボーカル・太鼓)の3人を招きました。ライブの前半は「かじゃでぃ風」(400年続く琉球の祝曲)、「情熱大陸」、ウクライナの平和を願って映画「ひまわり」から1曲。ボーカルによる「芭蕉布」「浜辺の歌」「想い出のグリーングラス」「イパネマの娘」と続きました。
前半が終わると、稲福さんは大城さんと「うちなーぐち」(島言葉)で漫談を始めました。稲福さんは子どものころからうちなーぐちです。大城さんは台本を見ながら、一生懸命セリフを読みます。「うちなーぐち」を知る人は爆笑。知らない私も大爆笑。会場は一気にくつろいだ雰囲気になりました。
後半の1曲目は「ひやみかち節」でした。「ヒヤミカチ」は、「エイヤっと(起き上がる)」といった意味の言葉とのこと。米国で実業家として活躍していた平良新助さんが戦後荒廃していた故郷を励まそうと、この曲の歌詞1番となる琉歌を作り、1948年、この琉歌に沖縄の音楽家、山内盛彬さんが曲をつけ、2番以降の歌詞を加えたそうです。続く「豊年音頭」では稲福さんのパートナー、昌代さんが「かちゃーしー」を始め、何人かが踊りました。アンコールは「テキーラ」、大喝采の内にライブは終わりました。ライブを思い出すと笑いがこみ上げ、心が温かくなります。
後日、稲福さんから沖縄漫談のルーツを聞きました。小那覇舞天(小那覇全孝、1897~1969年)という人がいたそうです。沖縄戦直後収容所や家を訪ねて、失意のどん底にあった人々に「命ぬ御祝(ヌチヌグスージ)さびら」(いのちのお祝いをしましょう!)と言い、歌い、踊ったそうです。舞天の言葉の一つに「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しい」という言葉がありました。ライブで、私や観客が感じた「こころが燃える想い」は、ひやみかち節に象徴される、奏者たちからのエールだったのだと気が付きました。沖縄で「ひやみかち」し「命のお祝い」をする人々と出会えて幸せです。
このライブから、弟子2人がエマオに向かう道で、イエスに出会った記事を思い出します。見知らぬ人の道連れになり、食事をし、その人がイエスだと分かった時、イエスの姿は消えました。2人は言います。「道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか」(ルカによる福音書24章32節)と。
イースターおめでとうございます!
しま・しづこ 1948年長野県生まれ。農村伝道神学校卒業。2009年度愛知県弁護士会人権賞受賞。日本基督教団うふざと伝道所牧師。著書に『あたたかいまなざし――イエスに出会った女性達』『イエスのまなざし――福音は地の果てまで』『尊敬のまなざし』(いずれも燦葉出版社)。