スンナ(スンニ)派イスラームの基本事項である「六信五行」の六信の中に「カダル」(日本語では「定命」と訳される)がある。カダルとは、すべての人間の運命は唯一神アッラーによってあらかじめ定められていることを意味する。このカダルを信じることがムスリムに課せられた信仰の義務の一つとされている。
このカダルは非ムスリムにとって理解が難しい。というのも、人間の運命がすでに神によって決められているなら、何も努力しなくても自ずと決められた運命にたどり着くと考えられるからである。そう考えると、「努力して道を切り開こうとするムスリムは無意味なことを行っているのではないか」「逆に努力して道を切り開いたとすれば人間自身の言動によって運命は変えられると考えられるのではないか」など、さまざまな疑問が出てくる。
そこで、イスラーム圏で生まれ育ったムスリムたちはカダルをどう学んで理解しているのか何人か聞いてみた。パキスタン人やエジプト人の知人に聞いてみたところ、ほぼ一致した答え方をした。「努力しなければ神の定めた運命には簡単にたどり着けない」「運命は定められている。だが、努力せず遊び呆けてばかりいれば、道はなかなか開かれない」「努力をすれば、簡単にその道を進むことができる」という。
では、人間自身の言動によって運命は変えられるのではないかとさらに聞いてみたところ、「そう変わるように神が決めた」「人間の言動は、それによってその人自身の運命を変えているのではなく、そうなるようにあらかじめ神が決めている」という。人間自身によって運命が変えられるものではないというのだ。
さらに、パキスタン人の知人によれば、人間の寿命は神によって決まっているから、歳を重ねるほど定まった寿命に近づいていき、あまり良いことではないから誕生日を祝うことはないという。
誕生日を祝ってもらうことは年齢にかかわらず嬉しいことではないのか、子どもの時分に誕生日会をしたことはないのかと聞いたところ、そのパキスタン人の知人は考え込んだ後に、これまでした記憶がないと答えた。
他の国から来たムスリムにも聞いてみたところ、同様に誕生日を祝ったことはないという。地域や家庭限定の考えでもなさそうだ。ただ近年では、子どもに誕生日会を開く家庭もあり、誕生日を祝うか否かは両親の考え次第にもよるようだ。
さらに、複数の日本人女性ムスリムに聞いてみたところ、今の配偶者と付き合っていたころにプレゼントをあげたことがあったが、誕生日は祝ったことがないので気を使わなくていいと言われたり、あるいは「誕生日を祝うことはハラーム(禁忌)だよ」とまで言われたという人もいた。
ただ彼女たちは、子どもたちには祝ってあげている。なぜ祝ってはいけないのか、子どもなのでまだ理解できないし、何よりも友だちが誕生日を聞いてくるので「祝うもの」として意識せざるを得ないという。
イスラームが異文化の社会では、どうしてもその社会の価値観が優先されてしまう。もっともムスリムにかかわらず、大人になれば1年ごとに歳を重ねることが憂鬱にもなってくるので、自然と祝うものではなくなってくる。
小村明子(立教大学講師、奈良教育大学国際交流留学センター特任講師)
こむら・あきこ 東京都生まれ。日本のイスラームおよびムスリムを20年以上にわたり研究。現在は、地域振興と異文化理解についてフィールドワークを行っている。博士(地域研究)。著書に、『日本とイスラームが出会うとき――その歴史と可能性』(現代書館)、『日本のイスラーム』(朝日新聞出版)がある。