台湾のある原住民の牧師は生前、「自分の母語を忘れるな! それは我々の身分証なのだから」と常々語っていた。部族の母語の衰退危機に直面してきたこうした上の世代は、「母語は先祖代々伝わってきた言語であり、部族の文化や習慣、個々人のアイデンティティーを相互に結び合わせるものだ」と、下の世代に語り聞かせてきた。もし諸部族の母語が消滅してしまえば、個々人と部族の関係は永遠に断絶してしまうことになるからだ。
UNESCO(国連教育科学文化機関)によれば、「母語(mother tongue)」とは「その土地固有の言語(native tongue)」と定義されるが、台湾原住民にとっての「母語」とは「部族固有の言語」に他ならない。母語こそが、部族と個人のアイデンティーを規定するからだ。
ところが、台湾は19世紀以降、日本帝国や国民党政権といった植民地主義的な外来政権の統治を受け続け、原住民は自分たちの部族言語を話すことが禁止されてきた。統治政権が日常語として押し付けてくる「国語」[日本語/中国語]しか話すことが許されず、統治者のアイデンティーや文化に同化させる政策がとられた結果、原住民の母語は長年にわたり禁止・蔑視され、部族消滅の危機に直面してきたのだった。
かつて台湾の16の原住民部族は全部で42の言語を持っていたが、現在、五つの言語はほぼ消滅しており、他の九つの言語も消滅の危機にさらされている。そのため、原住民は諸部族の言語を守るために、部族言語の発展と保存を保障する法律を制定するよう主張し続け、ついに2017年、立法院(議会)は「原住民族語発展法」を可決した。これにより原住民の言語は国家の言語の一部であることが明確に定められるに至った。
台湾基督長老教会の「原住民母語発展推進委員会」と「母語聖書委員会」は、キリストの福音を宣べ伝えるためには神のみ言葉を現地語に翻訳する必要があると考えている。聖書を原住民の母語に翻訳することを通して、福音と原住民文化とを相互補完・発展させ、神のみ言葉を原住民の生活・価値観・言語文化の根幹たらしめたいと願っているのだ。
福音が原住民に伝えられたのは、日本語が「国語」とされていた日本統治時代であり、日本と西洋の宣教師たちも日本語を使用し、当時の原住民キリスト者が使用していたのは日本語聖書だった。1949年、中国大陸の内戦で敗れて台湾に逃れてきた国民党政権は、原住民が日本語や部族言語を使用することを禁止し、中国語のみを唯一の「国語」と定め、聖書は注音符号(中国語の発音記号の一つ)による翻訳しか許されていなかった。
原住民が母語によってアイデンティティー持つことができるようになったのは、神が自由を重んじる現在の台湾政府(民進党政権)を用いて、原住民言語が国家の言語の一つに認定されるようにしてくださったからだ。原住民の母語が将来的にも発展し、各部族の母語にも聖書が翻訳され、訳された聖書が福音宣教の基盤となることを願ってやまない。
(翻訳=松谷曄介)
甦濘・希瓦
スーニン・シーワ 台湾の原住民族プユマ族。玉山神学院卒業後、台湾神学院で神学修士・教育修士、香港中文大学崇基学院神学院で神学修士。現在、台湾基督教長老教会・玉山神学院(花蓮県)のキリスト教教育専任講師、同長老教会伝道師。