アフガニスタンがまた内戦状態に戻ってしまった。40年以上も続いた戦争状態が、近年やっと落ち着いたかと思ったのも束の間、アメリカ軍の撤退によってタリバンが攻勢をかけて政権を奪い、ひいては女性の自由や権利をも奪い取る事態となっている。タリバンは「イスラーム法に則った」扱いになると述べていた。なぜ女性の自由や権利がイスラームの名の下で奪われなければならないのだろうか。
そもそもイスラーム法(アラビア語で「シャリーア」)は、通常の法律とは異なり、ムスリムの社会生活すべてに対する規定である。たとえ時代が移り変わっても、またイスラーム発祥の地であるアラビア半島を超えて世界各地に広まったとしても、決して変わることのない宗教規定である。イスラーム法はもちろんコーランに示されている。コーランの言葉は神の言葉であり、ムスリムが絶対守らねばならない。ムスリムはコーランで述べられていることを実生活で体現することが「良きムスリム」としての心構えであるとする。
だが、どう体現すべきなのか具体的に記されていないことがある。故に、コーランの解釈が必要となるのだが、それを補完するのが預言者ムハンマドの言行録ハディースである。
預言者の言動の通りに行っていれば、良きムスリムを体現することとなる。だが、それでも解釈に悩むことがある。というのも、近代化により物や人の移動が顕著になってグローバル化が進み、また科学の進歩に伴い、イスラームが成立した時代とは異なり、イスラーム社会に新たな概念や事物が持ち込まれているからである。したがって、新たな概念や事物に対する法解釈を要することになる。
女性の自由や権利もまたイスラーム世界だけに限らず、どのように守られるべきかが世界中で議論されている。ただ、イスラーム世界での議論で顕著なのは、コーランやハディースにおいて、女性についてどのように述べられているのかという法解釈である。すなわち、イスラームが世界に広がっていく中で、女性の自由や権利についてのイスラーム法の解釈を、誰がいつどのように解釈したのかによって、微妙な違いを見せることになる。
ムスリムたちが女性の自由や権利について考える前提は、大まかに言えば、男女はそれぞれの性別を分ける身体的な特徴と役割を持っていることによる。子を産むのは男性ではなく女性である。それゆえ出産後に家の中で育児を行い、家庭を守ることが主な役割になると考えるのだ。したがって、こうした身体的な生物区分における考えによれば、出産して子育て中の女性が外で仕事をすることや自由に行動することが制限されることになる。だが現実には、離婚した女性ムスリムもおり、さまざまな理由から働かなければ生活できない女性もいる。未婚の若い女子生徒・女子学生についても同様に、将来は結婚して出産・育児を経験して、いわゆる専業主婦として生きることになったとしても、結婚するまでは知識を得て社会に出て、将来の夢を実現したいと考えているだろう。
イスラームはいくら不変とはいえども、人々の自由や権利を奪うことは認めてはいない。ムスリムにとっての義務は六信五行であり、それ以外の言動は「良きムスリム」として奨励・推奨することであるからだ。さらに、ムスリム個人の言動の良し悪しを判断するのは人間ではなく、唯一神のみである。だからこそ、ムスリム同士でお互いの良し悪しを勝手に判断することはできないのである。(つづく)
小村明子(立教大学講師、奈良教育大学国際交流留学センター特任講師)
こむら・あきこ 東京都生まれ。日本のイスラームおよびムスリムを20年以上にわたり研究。現在は、地域振興と異文化理解についてフィールドワークを行っている。博士(地域研究)。著書に、『日本とイスラームが出会うとき――その歴史と可能性』(現代書館)、『日本のイスラーム』(朝日新聞出版)がある。