半年前に本欄で、国家安全維持法施行に伴い急速に自由を失いつつある香港社会について述べた。自由空間が狭まる情勢は今も変わらない。香港のキリスト教界もまた、激変する社会の中で模索を続けてきた。
2021年4月、ルーテル派の香港路徳(ルター)会が作成した教科書の「国家安全教育」に関わる部分で、中国政府の役人や香港政府の発言をそのまま引用していることが話題になった。教科書では、近年の香港の社会運動は「社会秩序に深刻な破壊をもたらし、大量の過激な思想をばらまいた」、香港の「独立」を吹聴する組織は「公然と中央と香港政府の政権に挑戦し、域外勢力に香港への干渉を懇願した」と表現されているという。ただ、この教科書は傘下の中高一貫校のうち、政府の補助金で運営されている六つの学校で使用される見通しで、インターナショナルスクールでは使用されない。教会の教育事業の継続、政府との関係性、という難題への一つの答えなのだろう。
だが、こうした香港の現状と将来を憂い、海外移住する人々も急速に増えている。それに伴い、移住先で香港人クリスチャンの必要に応えようとする動きも起こっている。2021年3月、宣道書局(アライアンス教会の出版社)の前社長で伝道師の王礽福らが中心となって成立した「台湾栄光教会」が突出した例だろう。「栄光教会」という名称は、2019年に生まれた香港の運動歌「香港に栄光あれ」にインスパイアされつつ、そこにキリスト教的な意味づけを付与してつけられた。その政治性や、既存教会から信徒を奪いかねないことへの批判、移住者の台湾社会への融合を阻むのではないかという懸念など、負の反響も少なくない。だが、王はこの教会は「やがて終わりが来る奉仕の始まり」であり、いずれは台湾の教会となっていくのだとも述べている。将来がどうであれ、これもまた香港の内側からの必要に応えた結果の一つである。
2021年5月、ローマ教皇庁は、2019年1月に前教区長が病気で死去して以来空席だった香港教区司教に周守仁神父を任命すると発表した。この間、代理教区長には補佐司教の夏志誠神父ではなく前教区長の湯漢枢機卿が任命されていたことも注目されていた。夏神父はもともと折に触れて民主派寄りの発言をしてきた人物である。湯漢枢機卿は逆に中国とバチカンの関係正常化に積極的な態度を示すなど、どちらかと言えば中国に親和的であった。ローマ教皇庁の中国への配慮を思わせる代理教区長の任命だったことは確かだろう。2019年6月以来の香港の抗議活動においても、夏神父は一貫してデモ参加者に寄り添う立場を表明し続けた。今年6月4日の天安門事件追悼ミサでも犠牲者を追悼する内容の説教を行っている。
他方、香港をめぐる政治情勢が激変する中、次の教区長は親中派と名指される蔡恵民神父になるのではないか、という情報も流れていた。しかし、結局教皇庁は周神父を任命した。周神父は、例えば、「香港独立」を主張するのは違法であるが、なぜ香港に独立が必要だと考える人がいるのかを考える必要がある、と発言したり、民主派と親中派の分断の「架け橋の役割を担う」と述べたりするなど、中間派と目される人物だ。新教区長として理想的な人選だったという評価も聞かれる。香港のカトリックも、多くの学校や福祉施設を経営し、香港社会になくてはならないサービスを提供してきた。香港に残る人、残らざるを得ない人の心身のケアを今後も担い続けるための、最善の人選だったようにも見える。
将来を見通せない香港で、教会もまたそれぞれの選択を迫られている。
倉田明子
くらた・あきこ 1976年、埼玉生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院准教授。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了、博士(学術)。学生時代に北京で1年、香港で3年を過ごす。愛猫家。専門は中国近代史(太平天国史、プロテスタント史、香港・華南地域研究)。