先日、医療に従事する女性ムスリムがヒジャーブと同色のマスクを着用しているとの記事を、インターネット上で見つけた。最近のマスクは機能性もさることながら柄や素材にも趣向が凝らされ、自分で作成したマスクを着用している人も多く見かける。すでにファッションの一部となっていると言っても過言ではない。
マスクの機能性を重視した上でファッション性も追求することについて、女性ムスリムの意見はさまざまである。だが、マスクの着用を嫌うヨーロッパや北米系の非ムスリムの人々とは違い、女性ムスリムたちは概ね違和感を抱いていないと言えるだろう。というのも、伝統的に似たような服装をしているからである。
中東、特にアラビア半島の国々においては、ニカーブ(目だけが出ている女性ムスリムが着用する服装)=写真右=やブルカ(顔を含めて頭から全身を布で覆う服装)=写真左=といった服装で外出するのが、今でも通常の光景となっている。これは女性の身体の線を隠すだけでなく、女性の美は多くの人の目、特に男性の目に触れさせるものではないというイスラームの教えに依拠している。このニカーブやブルカの着用をめぐっては、自由や人権などの観点からこれまで多くの国々で問題視され、かつ論議されているが、その話はまた別の機会に触れたいと思う。
日本国内では、ニカーブやブルカ姿の女性ムスリムをそうそう見ることはない。もしいるとすれば、配偶者から外出時に着用するよう勧められている女性ムスリムか、あるいは自ら好んで着用する人であろう。ただし、ブルカは顔が見えないために誰が着用しているのか分からない。個人が特定できないからこそ、周囲の人々はその姿に不安を感じる。たとえ彼女らの服装を見慣れている人がいたとしても、一瞬ぎょっとしてしまうだろう。
例えば、日本の空港検疫での新型コロナウイルス陽性者数が増えてきたことを伝えたニュース番組で、中東からの便の乗客が検疫場に並んでいる中に、頭から爪先までしかも顔までも黒い布地で覆う民族衣装を着用した女性が映し出されていた。それには筆者もさすがに驚かされた。空港だからさまざまな国々から来た人々がいるのは当然のことだが、日本国内にその服装のまま入国すれば、多くの人は見慣れていないので不審に思うだろう。
「with コロナ」の時代に入り、社会は変化を迫られている。もしニカーブやブルカにマスクの機能性を持たせたら、イスラームを異文化とする社会における女性ムスリムの服装に関する問題も少しは解決するかもしれない。だが女性ムスリムたちが時代や社会に合わせていこうとしても、社会がいかに彼女らの服装を受け入れるかは別の問題となる。
イスラームそのものへの忌避感がある社会では、たとえお互いが協力してコロナ禍という問題に立ち向かおうとしても、これまで社会が抱えていたイスラームに関する諸問題を乗り越えることは難しいことである。それはすなわち、社会が変化を求められている時にさまざまな問題が露呈し、かつ停滞していたことが一歩ずつ前進していくのと同時に、人々もまた自分の思想や信条において生き方やあり方を再考する機会ともなっていると言えるのではないだろうか。
小村明子(立教大学兼任講師)
こむら・あきこ 東京都生まれ。日本のイスラームおよびムスリムを20年以上にわたり研究。現在は、地域振興と異文化理解についてフィールドワークを行っている。博士(地域研究)。著書に、『日本とイスラームが出会うとき――その歴史と可能性』(現代書館)、『日本のイスラーム』(朝日新聞出版)がある。