あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。
ペトロの手紙一2章9節(参照箇所同書2:9〜10)
おそらくは、これらの名を冠して呼ばれることに、初代教会の人たちは驚いたり、戸惑いを感じたと思われます。事実、ここで聖書が告げる信仰者の姿とわたしたちの間にギャップを感じない人はいないでしょう。正直に自らをふり返れば、選ばれた民、祭司、聖なる国民、神の民の名をもって呼ばれるにふさわしい実態が、わたしたちのどこにあるでしょうか。むしろ罪人の名をもって呼ばれる方が、ふさわしいとさえ思います。
にもかかわらず、罪人である、わたしたちが、聖なる名をもって呼ばれるのです。この事実をなによりも毎聖日の礼拝のとき、使徒信条を唱えるわたしたちに発見しないでしょうか。わたしたちは、自らを「罪人の交わり」と言わず、「聖徒の交わり」と告白しているではありませんか。この事実を看過すべきではありません。
ペトロの手紙によれば、聖なる名を冠して呼ばれるのは、罪人であるにもかかわらず、聖なる名を持つ者としてくださったお方のわざを宣べ伝えるためであると言います(9節)。闇から光へと招いてくださった、その業を宣べ伝えるために聖なる名で呼ばれるのです。