互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
ガラテヤの信徒への手紙6章2節(参照箇所同書6:1〜10)
善行と愛は区別されるべきものです。善いことは自分で判断して善いことだと思ったことをするのですから、善いことを終わりまで遂げることができます。けっして重荷とはなることはないでしょう。善いことでないと思えば止めればよいのです。
しかし愛は自分が善いと思ったことをするのとちがうのです。愛は他者の重荷を負うことであるとパウロは言うのです。他者の重荷を負うとは、喜んでというわけにはいかないでしょう。ときとしてはいやなことでもあります。また重荷を負うためには、他人の辛いことや苦しさの中に身を置くこともありましょう。
しかしパウロは、「互いに重荷を担いなさい」と申しました。ガラテヤの教会の中に不和があり、不徳義なことも行われ(5章15〜21節)、互いに負い合うべき重荷がありました。隣人を愛することが律法を全うすることを知った以上、審くことなく互いに隣人の重荷を負う、それこそ愛の実践であると勧めるのです。
そして互いに重荷を負うとは、人の罪の重荷を負ってくださるキリストがそこにおいでになるので愛が完成します。