主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。
コリントの信徒への手紙二8章9節(参照箇所同書8章1〜15節)
パウロは、マケドニア州の諸教会は、貧しい教会であったのに自ら進んで募金に応じてくれたと言い(2節)、コリントの教会は彼らに比べるとすべてに豊かなのだから、慈善のわざでも豊かになりなさいと勧めます(7節)。だからといって、これを命令として言っているのではないとわざわざ断っています(8節)。
募金となれば目標をまず立てて、その目標達成のためには、宣伝をしたり、競争心をあおるような心理作戦を立てるかもしれません。ところがパウロはコリントの教会に募金の依頼をするのに、わたしたちがするような方法を取りませんでした。
彼は、あなたがたが豊かになったのは、キリストが貧しくなられたからだと言うのです。「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた」と言います。神であられたお方が、罪人のために死んでくださった、これ以上の貧しさはないとパウロは信じています。このキリストの貧しさによってコリントの教会は、今の豊かさを得ている、これこそが募金に応じるための信仰的な根拠としたのです。
わたしたちが教会で募金をすることがあれば、このパウロの考えは一考に価するのではないでしょうか。