それにもかかわらず、あなたはわたしに「銀で畑を買い、証人を立てよ」と言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこのときにです。
エレミヤ書32章25節(参考箇所同書32章16〜44節)
エレミヤはエルサレムがバビロニアの軍隊の手に落ちることを預言したため、抵抗派の王ゼデキヤによって囚われの身となりますが、そこへ従兄弟のハナムエルが訪れ、父の土地を買うよう頼むのです。エレミヤは自らの意志でなく神の御心と信じ、彼の故郷でもあるアナトトに畑を買ったのです(6節)。
エルサレムはバビロニアの軍隊に包囲され、陥落は目前に迫っている最中にどうしてそのようなことを神は命じられるのか、その御心を確かめたいと彼は思ったのです。神は言われます。「わたしは彼らに恵みを与えることを喜びとし、心と思いを込めて確かに彼らをこの土地に植える」(41節)と。土地は神にとって作物の生産のみが目的ではありませんでした。神はそこに人を植えると言われます。一切が失われ、荒れ果てた情景が広がっているけれども、やがては人々が生活を取り戻す日がやってくる(14節)、それが神の喜びだからです。
すべては悪い方へと流れて行くようなとき、そこには人の喜びなど一かけらもないように見えます。しかし人の喜びはなくとも神が喜びとされることがあるとの信仰をエレミヤを通して教えられるのです。