主の手が短くて救えないのでない。主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
イザヤ書59章1節(参考箇所同書59章1〜21節)
バビロン捕囚から解放され、故郷に帰還したイスラエルの民は平和と繁栄があると期待したのでしたが、意に反して悪と不法がまかり通り、争いの日々を送ることとなったのでした。イザヤは「正義はわたしたちを遠く離れ、恵みの業はわたしたちに追いつかない」(9節)嘆いています。
人々は、約束が実現しないのは、神の力不足であるかのように不信の念を起こしたのでした。神が平和と繁栄をもたらすのは当然であるかのように考えるのは、今も昔も変わりはありません。人はせっかく信仰をもったのだから、何かよいことが起らないものかと期待する思いがついつい心の片隅に巣くっているのに気付かない人はいないでしょう。
イザヤは、そのような人の思いに「主の手が短くて救えないのでない。主の耳が鈍くて聞えないのでもない」と言います。あたかも神に力がないのだと恨みがましく嘆く民に、それは神の責任ではないと言っているのです。「お前たちの罪が神の顔を隠させ、お前たちに耳を傾けさせるのを妨げている」(2節)と責任は人間の罪にあるのです。不都合なことが起るとつい神にその責任があるかのように考えてしまうわたしたちへの警告として受け止めるべき言葉です。