あなたは人を塵に返し、「人の子よ、帰れ」と仰せになります。千年といえども御目には、昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。
詩編90編4節(参考箇所詩編90編1〜17節)
「人生の年月は70年程のものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いにすぎません」(10節)と作者は歌います。葬儀のとき、この詩編の朗読を聞くと人生のはかなさをしみじみ感じさせられます。
ルターは、この詩編の講解を書いていますが、その中でこう言っています。「律法は生の中に死の声を聞く。福音は死の中に生の声を聞く」。律法とは、この世の知恵、考え方を代表するものです。この世の考え方からすれば、人はどのような人生を送ろうと結局は死ぬのである、それは仕方がないことだ、それが人間の定めなのだからということです。
福音はちがうのです。人は死ぬ、これは厳然たる事実です。何人もこれを避けて通ることはできません。福音は死を事実としてしっかり受け入れます。しかし福音はキリストが死の死となられたことを教えるものです。「死は勝利に飲み込まれた」(コリント一、15章55節)のであります。
これを知る詩編の作者は、たとえ人生が一瞬のうちに終わろうと、苦難に満ちていようと死が人生の結論ではないことを、「わたしたちの手の働きを、どうか確かなものにしてください」(17節)との言葉に託して祈るのです。