涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。
詩編42編2節(参考箇所詩編42編1〜43編5節)
鹿はどこに行けば水が飲めるかをよく知っていて、谷に降りてきます。ところがあるべき谷川は涸れて水がないのです。水を失った鹿は渇きにあえぎでいます。神を見失った作者は、自分はそのような鹿と同じようなところにいると言っているのです。
作者は、それまでは神を信じる生活を生き生きと送っていたのでしょう。ところが何事かが起って、意気消沈してしまったものと思われます。耳に聞えてくるのは、周辺にいる者たちが、責め立てる言葉です。「わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き、絶え間なく嘲(あざけ)って言う『お前の神はどこにいる』と」(11節)。作者にとって、神はなにも助けてくださらないかのように見えます。「わたしの岩、わたしの神に言おう。『なぜ、わたしをお忘れになったのか。なぜ、わたしは敵に虐げられ、嘆きつつ歩くのか』」。このような不本意な生きざまは、作者の望むところではありません。
なんとか、この窮境を脱したいのです。そのためには、どこにもおいでにならないかのように見える、神を諦めることなく探し求めます。「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻(うめ)くのか。神を待ち望め」(6節)と。