天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
詩編19編2〜3節(参考箇所詩編19編2〜15節)
人間は知恵を尽くして、速くて便利で快適なものをつくり出してきました。わたしたちはその恩恵にあずかって生活を享受していますが、心のどこかではこれでよいのだろうかと不安を感じているのも事実です。どこかに有限で、変化をし、不完全な性質を抱えているからです。例えば、住んでいる家が永久に壊れないとはだれも保証はしませんし、万全を期して運営されていても鉄道や航空機が絶対に安全であるとはいえないのです。
ですから、人はその対局にある、永遠なるもの、不変のもの、完全を求めています。要するに決定的といえる究極のものがないと安心できないのです。
心理臨床の世界では、人の命や死に関する問題を扱うことは、さほど珍しいことではありません。しかし人の生き死にに関する問題を扱うときには、単に心理社会的な領域だけで答えが出てくることはありません。人の生き死には、究極的な存在の関与が必要です。もしそれがないなら、生物的生き死にとなっても人間としての生き死にとはほど遠くなります。
人の生き死にになくてならぬ、究極的な存在の関与に触れる糸口が創造のわざとしての自然の事象にあることをこの詩編の作者は歌っているのです。