四十年間、あなたが支えられたので、彼らは荒れ野にあっても不足することなく、着物は朽ち果てず、足もはれることがなかった。
ネヘミヤ記9章21節(参考箇所同書9章1〜37節)
エジプトを出て 40年、荒れ野の旅を続けて、やっと約束の地、乳と蜜の流れる地に辿り着いたイスラエルの民は、きっとこれまでの辛さや困難に思いを馳せたことでしょう。しかしふと足もとを見たとき、着物は朽ちていず、足もはれていなかったのです。思いがけない恵みの発見でした。
エズラと共にペルシア王アルタクセルクセスに仕えたネヘミヤは、その思いをバビロン捕囚の50年から帰還した自分たちにも同じ恵みを見ようとして、かつての先祖たちの歴史をふり返ったものと思われます。
人は辛い日々が続くと、ついつい辛さだけが目に付きます。感謝や喜びに通じるものはどこかに消え去ったかのようです。しかし人間の抱える如何なる問題は、問題だからといってマイナスばかりとは限らない、どこかにプラスの側面をもっているものだといわれます。裏切られたからこそ、人の真実が分かるようになったのであり、傷ついたことがあればこそ、他者の痛みを共にすることができるようなものです。
ネヘミヤはユダヤ教確立の祖とも言われる人物ですが、捕囚という国家的悲劇を経験しなければ、イスラエルの民の信仰はどうあればよいかを発見することはなかったことでしょう。