アロンはこの生かしておいた雄山羊の頭に両手を置いて、イスラエルの人々のすべての罪責と背きと罪とを告白し、これらすべてを雄山羊の頭に移し、人に引かせて荒れ野に追いやる。
レビ記16章21節(参考箇所同書16章1〜34節)
イスラエルの民は、毎年第七月の十日を贖罪の日として守っていました(レビ記23章27節)。この日は大祭司と祭司たちのため、また全国民の罪のために犠牲を捧げることになっていました。アロンは最初の大祭司でしたが、彼はまた金の子牛を造るほどの罪の人であり(出エジプト32章4節)、まず彼自身罪の贖(あがな)いのために犠牲を献げねばなりませんでした(6節)。ついで彼は全国民のため雄山羊2頭を用意し、1頭は贖いの献げ物とし、もう1頭には民のすべての罪を負わせて荒れ野の魔神アザゼルのもとに追いやることとなっていました。
ここにあげた聖句は大祭司アロンが民の罪を1頭の雄山羊に負わせ、アザゼルのもとへ追いやるときの様を生々しく書き記したものです。レビ記16章はこの個所も含めて、罪が贖われるとはいかに凄まじい出来事であるかを教えているのです。
わたしたちにとって、キリストは贖いの献げ物であり、アザゼルの雄羊であります(ヘブライ10章10節以下)。「キリストに十字架の死によってわたしの罪は赦(ゆる)された」と告白するときには、これほどまでに凄まじい犠牲が牧師、司祭、すべての会衆のために献げられていることを銘記すべきであります。