神は御自分にかたどって人を創造された。
創世記1章27節(参考箇所同書1章26〜2章17節)
人間が神にかたどって造られた存在であるとは、いろいろな意味に解釈されてきました。人は内に神の痕跡を残す存在である、神の愛に責任をもって応答できる存在である、素朴な考えでは姿の上で人間は神に似ているというのもあります。しかしながら、この言葉を一般化して理解するのでなく、自分のこととして聞くときには、また新たな思いを持つのです。つまり「わたしは神にかたどって創造された」と自らに言い聞かせるなら、わたしという存在は一転して装いを新たにします。
わたしの存在は尊いのであり、わたしは他に比べるものがないのであり、わたしはわたしに責任を持つ存在としてあることが明らかになるのをひしひしと感じるからです。
最近、自ら命を断つ人々が多いというニュースに心が痛みます。ある高名な神学者が申しました。「自殺を試みようとする人に、あなたは生きなければならないと言っても意味はない。もし自殺を思い止まらせようとするなら、あなたは生きることが許されているというべきである」と。生きることが許されていることを知るのは、「神は御自分にかたどって人を創造された」との言葉をわたしのこととして聞く時です。