3月5日 マタイ4章1節

キリストのわざと教え

 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
マタイ4章1節(参照箇所マタイ4章1-11節)

ヨルダン川において洗礼を受けられたイエスは、神の子として四十日の間悪魔の試みを受けられます。四十日とは神の民イスラエルが出エジプトの後、荒れ野で四十年を旅し、試練を受けたことと重なっています。
ここでイエスが受けられた試練とは、イスラエルの民が克服できなかった試練のことで、彼らに代わってイエスが成し遂げられることを意味しています。試練とは、神の御心に従おうとするときに、そうさせまいとする力を意味します。石をパンにするなに不自由ない生活、神殿の屋根から飛び降りても死なない万能の力、世界を意のままに支配する権力、それらはすべて神に従わせないようにする誘惑としてやってくるものです。これらは人間にとって好ましいことであっても、人が神の御心に忠実であろうとすれば、かならずついて回る誘惑ということができます。そして人間はこの誘惑を克服することができないというのも事実です。その例が出エジプトの民でした。
主イエスは、その人間に代わって誘惑に打ち勝ってくださったことを荒れ野の出来事は表わし、実は聖書全体が、誘惑との戦いを主が代わってしてくださって、勝利された物語となっているのです。

 






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