2月20日 マルコ15章27節

また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人を左に、十字架につけた。
マルコ15章27節(参考聖書箇所同書15章27ー32節)

イエスと共に二人の強盗が十字架につけられたことを聖書は告げます。その一人はイエスをののしります。「お前がメシアなら自分と我々を救え」と。他の一人は「御国でわたしを思い出してください」と言ったと、ルカは伝えています(ルカ二十三章三十九節以下)。 それぞれの態度は、人が極限の状況に陥ったときの態度をよく表わすものです。ひとりは、自暴自棄の中からイエスをひたすらののしります。彼は今や絶望の淵に立たされて、神をののしる以外に何事もなすすべがないのです。わたしたちにとっても、神はなんの助けもくださらない、そのようにしか思えないとき、わたしたちも同じ言葉を口にするかもしれません。 今一人の男はちがいました。彼が口にしたのはどのような苦境に立とうと、一切を委ねることを知った者の言葉でした。この一人は、この期に及んで主イエスが何かをしてくださるとは期待したのではありません。むしろ委ねることができるお方として主を見上げたのでした。いよいよ切羽詰まったとき、委ねることができるお方を持つものは幸せです。この人は、この最期の時にあたって、主にすべてを委ねることで、死へ向かって生きる勇気を見出しているのです。

 

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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