「この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。
マタイ26章12?13節(参考聖書箇所同書26章6?13節)
最も大切なものだからこそ主にために用いるという行為を見ることができます。ベタニアでは香油を主の頭に注ぐという行為が、死を前にしたイエスのために行なわれました。ベツレヘムでは主の誕生にあたって、占星術の学者たちは最も貴重な宝物を幼子に捧げるということが行われました。ザアカイは全財産を主のために投げ出しました。それぞれに大切なものが主に捧げられたのです。
かつて玉木愛子というホトトギス派の俳人がおいででしたが、この方に「目を捧げ、手足を捧げ、クリスマス」という句があります。ハンセン病を患われ、長く長島愛生園で療養された方であります。病のため、視力も手足の自由も失って行く、不自由な生活を余儀なくされるにもかかわらず、この方は、目や手足を失ったとしないのです。キリストに捧げたと句に詠まれたのです。あの占星術の学者たちが幼子キリストに捧げた、クリスマス・プレゼントに等しいということであります。
大切なものを失ったのだというのでなく、捧げたとは、信仰者なればこそとの思いがします。しかしまた、大切なものを捧げることができる方、キリストは、わたしたちのために、命をささげてくださったお方でもあります。