見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
マラキ書3章23節(参考箇所同書3章19〜24節)
捕囚から帰還したイスラエルは、神殿再建に取り組み、ようやく完成しましたが、相変わらず苦しい生活の日々が続きました。人々の間には、次第に神に対する不信の念が生じ、「神に仕えることは空しい。たとえその戒めを守っても、万軍の主の御前を喪に服している人のように歩いても何の益があろうか」(14節)とつぶやくようになっていました。
彼らに対し、主は「人が自分に仕える子を憐れむように、わたしは彼らを憐れむ」(17節)と言われます。神の憐れみは不信仰者の上にも注がれます。神の憐れみは、主の日が到来して、すべての罪人がわらのように焼き尽くされる前に、「預言者エリヤをあなたたちに遣わす」との約束に表れます。この約束は新約に引き継がれ、メシア到来の前触れとしての洗礼者ヨハネが、その約束の受け取り手となりました。(ルカ1章17節、マルコ9章12節)。
エリヤの復活と目される預言者は、「父の心を子に、子の心を父に向ける」(24節)役目を負う者です。神と人間の関係の正常化こそが信仰の根本的な命題だからです。これはまた洗礼者ヨハネに課せられた使命であることを思えば、すべての伝道者の使命でもあることに気付きます。