イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡して配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
マルコ6章41節(参照箇所同書6章30〜44節)
パン五つと魚二匹で五千人が養われたという奇跡物語は、福音書のすべてに書かれていますので重要な意味をもつ出来事であったと想像できます。この出来事は奇跡である以上に、イエスとはだれであるかを意味していることを知らねばなりません。
イエスとはだれかが最も明らかになるのは十字架と復活をおいて他にありません。この出来事があってこそ、キリスト教信仰が成立します。それほど重要な出来事の前後二回、主は弟子たちと食事をされたことが聖書に記されています。十字架の死の前夜、そして復活後の二回にわたって、それぞれ食事をされた事情はルカ24章やヨハネ21章に伺うことができます。弟子たちは主と食事をすることで、今まで共に過してきたお方はだれであるかを知るのです。この食事は、教理として位置づけされ、聖餐式(せいさんしき)として教会の重要な意味を持つに至りました。
同じ食事がここガリラヤ湖畔で行われ、その出来事によって、実はイエスとはだれであるかが、先取りされていたことが分かります。ヨハネ6章35節では、主御自身その意味を明らかにしておいでになります。