1月29日「平和があるように」

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。(マタイ10:1)

「汚れた霊」とは、欲望、孤独、不安など、人間の弱いところにつけ込んで、不信仰や狂気に駆り立て、人間を崩壊させる悪霊である。主イエスは人間を悪霊から解放し、神の国に招くために来られた。主イエスは弟子たちを選び、彼らに悪霊を追い出す力を授け、神の国の宣教のために遣わした。その時、主イエスが語った次の言葉は、今日、主の弟子であるキリスト者が聞くべき言葉である。

「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」(6節)。弟子たちはまず、イスラエルの人々、すなわち彼らにとっていちばん近い人々のところに遣わされる。「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」(7節)。弟子たちが宣べ伝えるのは、主イエスによって用意された「天の国」の福音である。信じる者はすでに神の国の福音にあずかっている。「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(ローマ1・16)「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない」(9節)。弟子たちは、金銀ではなく主イエスを信頼する生活を通して神の国の福音を証しする。「町や村に入ったら、そこで誰がふさわしい人かを調べて、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい」(11節)。弟子たちは、救いを求めている人を見いだし、その人と関わりを持ち続けて福音を証しする。「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶(あいさつ)しなさい」(12節)。福音の宣教は、神の平和宣言である。それは、患難の日も、死の日でさえも、神が共にいてくださる「平和」である。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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