AI(人工知能)についてバチカンと協力してきたカトリックの指導者たちは、「カトリック・アンサーズ」の最近の実験が、AIによる福音伝道がうまくいかなくなる可能性を示すと語っている。「レリジョン・ニュース・サービス」が報じた。
司祭に偽装した人工知能アバター、ジャスティン神父が破門されるまで1日あまりかかった。カトリックの伝道を目的とするサイト「カトリック・アンサーズ」が、信仰に関する質問に答えるためにこのキャラクターを導入した後、ソーシャルメディア上のカトリック信者たちは、このキャラクターを 「神聖な司祭職をあざけるスキャンダラスなもの」であり、「実際の対話の代わり 」にしかならないと非難した。
4月24日、「カトリック・アンサーズ」はこの実験を謝罪し、ジャスティンは一般神学者として再登場した。
ボストン・カレッジの形成教育学部の教授であるフィリップ・ラリー牧師は、「カトリック・アンサーズ」は良い機関だと思うが、「対話型人工知能という極めて複雑な領域に参入するのは少し早すぎた 」と述べた。
カリフォルニア州サンノゼのオスカー・カントゥ司教は、シリコンバレーでカトリック信者を指導しているが、彼の教区ではAIはあまり話題に上らないという。にもかかわらず、世界のコンピューター事業の中心地におけるリーダーとして、カントゥ司教は、たとえ「あまり掘り下げて 」いないとしても、世界的かつ道徳的な問題としてAIと関わってきたと語った。
メタ(旧フェイスブック)社の創始者マーク・ザッカーバーグによって造り出された格言「速く動け、そして物事をぶち壊せ」を引き合いに出し、司教は「AIについてはとても慎重に動く必要があるし、物事を壊さないよう注意が必要。そうしないと、私たちは人間の命と尊厳壊してしまう可能性がある」と話した。
専門家たちは、ジャスティン神父が告解の秘跡を模倣したことは非常に不適切であるとの意見で一致した。
カントゥ司教は、「もし神父を装ったロボットのようなものがいたら、聖餐式は直接執行されなければならないと考える人々を混乱させてしまう」「ジャスティン神父が式文を唱えたからといって、それが聖餐式になるわけではない」と述べた。
さらに、AIチャットボットはAIであることを明確にすべきと警告。「私たちが導こうとしている人々のためにも、できる限り透明性を保つことが非常に重要だ」と加えた。
「ジャスティンが一般の神学者であると自己紹介することでさえ問題だ。聖書と教会の教えについて信じられないほど知識があるかもしれない人(ジャスティン)はしかし信仰の人ではなく、神学を実践していない。なぜなら神学は信仰から始まるからだ」
聖ヨハネ大学と聖ベネディクト大学で神学とコンピュータサイエンスを教えるノリーン・ハーツフェルド教授は、バチカン文化教育総主教庁が主催するAIに関する本の編集者の一人。
指導者たちは、適切に使用された場合のAIの有用性を否定しているわけではない。カントゥ司教は、AIは 「研究をするために有益に使えるツール 」として「とてつもない仕事」をすることができると述べた。しかし、こう加えた。「神学を実践する信仰者は、それぞれの情報源の信憑性や権威を判断する必要がある」
AIをめぐる倫理問題について、バチカンおよびAIの指導者たちと緊密に協力してきたラリー牧師は、教皇フランシスコが関心を寄せているのは 「人間中心のAI 」であり、AIは 「人間のために 」使用されなければならず、「人間の不利益にならない 」ことを意味していると強調。
ラリー氏は、AIが福音宣教に利用されている最良の例として、ラリー氏の友人であるマシュー・ハーヴェイ・サンダースという元セミナー生が設立したデジタル戦略会社Longbeardが開発したチャットボット「Magisterium AI」を挙げた。このボットは、聖アウグスティヌスや聖トマス・アクィナスの著作のような選りすぐりの著作だけでなく、教会の公式の教えも引用して、チャットGPTのような形式で教会の教えを説明し、その答えの根拠となった文書にリンクしている。
ラリー氏は、このような自動化された研究を、新たに発見した知識を学習し実験する生成的AIとは区別している。「生成的なAIを使う場合、気をつけないと手に負えなくなる」と彼は言う。
ハーツフェルド氏は、精度の問題が、福音伝道に使うべきではない多くの理由の一つであると述べた。「このようなチャットボットをいくらベータテストしても、AIがそれ自身の答えを作り上げる時、誤った考えを取り除くことはできない」「問題は、実際AIがどのように機能するように作りこまれているかにあるのだ」ハーツフェルド氏は続けた。「AIは統計学や、どのような単語やフレーズが続くべきかの確率に基づいて働いており、世界の内部メンタルモデルを持っていない。それがなければ、常に道を踏み外すことになる」
ハーツフェルド氏は、AIは仕込まれたデータと同じだけ優れていると述べた。「教会分裂に関する問題について、わたしは例えばラテン語ミサの望ましいあり方や、教会における女性の役割などについて、ボットを見て有力な回答を得ることができる」
ハーツフェルド氏はまた、テクノロジーに精通していない人々が、コンピューターには 「あるレベルの無謬性 」があると信じてしまうかもしれないと懸念を示し、AIボットに頼ることで精神的な 「脱スキル化 」が進み、若い人々が 「宗教とは答えだけだ 」と考えるようになることを心配している。
「私が彼らの年齢だったとき、私はシャイだった。もし私の質問に答えてくれるボットがいたら、宗教について質問するために牧師に行ったり、両親に行ったりする代わりに、ボットに聞いただろう」とハーツフェルド氏は言い、また他の人々や神ではなくAIと関係を築くことは、一種の偶像崇拝になる可能性があると付け加えた。
AIを30年近く研究し、オープンAIのCEOであるサム・アルトマン氏と対談しているラリー氏は、テクノロジーが進歩することに楽観的だ。最近の分析では、2027年までにAIはアルゼンチンやオランダの人口と同程度の電力を消費すると推定されている。
ラリー氏は、カトリック・アンサーズのジャスティン神父が「そうでなければカトリックの信仰に興味を持たないような人々を獲得する」ためにデザインされたことを理解しているが、チャットボットが本物の神父と争うべきでないとも考えている。「教区に行って神父と話せばいいじゃないか。彼らは絶滅したわけではないのだから」
福音伝道のためには、「他の人々と接触し、他の人々を惹きつける人々が必要だと思う」とラリー氏。「私たちはそのステップを決してなくさない」
カントゥ司教は、これが不運なジャスティン神父から導き出される究極の教訓だと考えている。「信仰は答えだけではない。情報だけではない。キリストとの出会い、現実の人々との個人的な出会いなのだ」
一般のカトリック信者が福音伝道のためにAIに注意を払うべきであるのと同様に、説教を書く際にチャットGPTに助けを求める司祭にも同様の注意を払うよう提案した。
AIで提示されたものは 「時間に追われている 」司祭にとっては良い出発点になり得るが、司祭は説教を自分のものにしなければならないとカントゥ司教。
「教会内の誰でも、信仰を持つ人が真理を表現する時、ある程度までは、神の心への窓を開いていることになる。なぜなら神は真理だから。結局のところそれは私の言葉であり、私の信仰行為でなければならない。ロボットにはそれができない。なぜならそれは信仰の行為ではないからだ」
(翻訳協力=中山信之)