「王様」に期待しすぎるからがっかりする。【聖書からよもやま話377】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、サムエル記第一の12章です。よろしくどうぞ。

サムエル記第一 12章21節

役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

イスラエルの民たちは「私たちには王が必要だ!王を与えてくれ!」と望みました。しかし神様は預言者サムエルを通して「それは空しいものだし、君たちには必要のないものだよ」と言いました。

王とは人々の指導者です、導く者です。しかしイスラエルの民のことは神様が直接指導するのですから、わざわざ人間の王を立てる必要はなかったんです。しかしどうしても人間というのは目に見える人間を指導者として仰ぎたいものです。目に見えない神様が指導する、と言われてもピンと来ないし、どこか頼りなく感じてしまうものです。

しかし本当は、目に見えるものの方が頼りないんです。目に見えるということは物理的に存在しているということです。物理的に存在しているということは、物理的な制約があるということです。物理的に存在している以上、いつか壊れる、つまり死にますし、扱える力も限られます。瞬間移動することもできませんし、タイムスリップすることもできません。目に見えるものは物理法則から脱出することができません。

つまりどんなに優れた人物であっても、決して完璧ではありえないということです。ギリシアの哲学者プラトンも、「人間に肉体がある以上、完璧な存在にはなりえない」と言っています。だからこそできるだけ肉体を離れて、精神として生きるべきだというようなことを言っています。しかしどうしたって人間には肉体があるのですからそこから完全に離れることはできません。食べなければ、寝なければ、精神の働きだって弱ってしまうのが人間です。

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UnsplashMichał Parzuchowskiが撮影した写真

現代の僕たちも、人間の指導者に多くを求めすぎているように思います。大統領でも総理大臣でも天皇陛下でも、みんな人間ですから限界があります。僕たちと同じように1日は24時間ですし、24時間のうち数時間は寝なければいけません。食べなくても死んでしまいます。トイレにだって行かなきゃいけませんし、お風呂も入らなきゃダメです。疲れることもあれば、病気になることもあります。僕たちと同じ人間に、スーパーマンであることを求めてしまうようなところが、僕たちにはあるのかと思います。自分もミスをするのに政治家のミスは許せないとか、自分は休暇をとるのに政治家が休暇をとれば「休んでる場合か!」と怒ったりとか。

政治家や偉い人も、僕たちと同じ人間であることを忘れてはいけないと思います。同じ人間なんだから、同じような限界がある。その人たちに完璧を求めても空しいことです。それを求めてしまうからがっかりさせられるんです。

結局、サウルは言うに及ばず、ダビデもソロモンも、その後に続く王たちも誰一人完璧ではなく、むしろ間違いばかりを犯して、国は分裂し最終的にはバビロン捕囚を招いてしまいました。彼らは人間でしかない王に期待しすぎたんです。そして僕たちも、同じ間違いの危険を、今日も踏み続けているんです。だから神様は今日も聖書を通して「王だって人間、期待しすぎるのは空しいぞ」と教えてくれているんです。

この命、この生活、安心して任せられるのはどんなに優れた総理大臣でも大統領でもなく、神様だけです。
この命、この生活、本当に変えてくれるのはどんなに優れた総理大臣でも大統領でもなく、神様だけです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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