親を信頼できる子どもと、神様を信頼できる人は幸せ【聖書からよもやま話306】

主の御名をあがめます。

あけましておめでとうございます。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
年末年始と少し長いお休みをいただいておりましたが、十分に回復&リフレッシュができましたから、本日からまた皆様とよもやま話を始めたいと思います。よろしくお願いします。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の84篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 84篇12節

万軍の主よ
なんと幸いなことでしょう。
あなたに信頼する人は。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

誰かを信頼できるというのは幸せなことです。信頼できる誰かが近くにいるというのも幸せなことです。信頼できる人が周りに誰もいないなら、お金やら地位やら名誉やら、他のすべてを持っていたとしても、きっとその人はこの上なく不幸なことでしょう。

どんなに立派な家や、食事や、お金や、玩具を好きなだけ与えられていたとしても、両親との信頼関係を築けなければ、子どもは幸せな気持ちにはなれません。子どもは、家や食事やお金や玩具よりも、何より親の愛を求めます。子どもは、親の愛があれば、家も食事もお金も玩具もちゃんと必要な分だけ毎日与えられることを本能的にしっています。親の愛をきちんと受けている子供は「明日住む家があるだろうか、食べるものがあるだろうか」なんて心配しません。しかし親の愛を感じられない子どもは「いつ自分は見捨てられるのだろう。見捨てられたらどうやって生きればいいのだろう」と心配しながら生きなくてはいけません。ですから、親を信頼する子どもは幸せなんです。

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UnsplashCaroline Hernandezが撮影した写真

神様と人間の関係もこれと同じです。神様の愛をしっかりと受け止めている人は、どんな時でも必ず神様から必要なだけのものは与えられることを知っています。ですからたとえ今が貧しくても幸せです。しかし、どれほどのお金や地位や名誉があっても、神様の愛を受け止めていないのなら「いつこれらのものが失われるか」「明日もこれを保っていられるか」と戦々恐々の日々を生きなくてはいけません。これは決して幸せなことではありません。ですから神様の愛を受け止めて、神様を信頼する人は幸せなんです。

実はこの秋から冬にかけての期間、僕はいわゆるスランプと言いますか、文章が書けなくなっていました。まったく書けないわけではないですが、書いてもピンと来るものは書けないと言った感じでした。それで年末年始に長めにゆっくりしてみることにしたのですが、そこで気づいたことは、僕は「今日は書けたけど明日こそ書けないかもしれない」という不安にかられて、自分の力で頑張ろうとしていたということです。これは神様に信頼していないということです。「明日こそアイディアが与えられないかもしれない」というのは、「明日こそ食事が与えられないかもしれない」と子どもが恐れるのと同じです。それは親を信頼していないということですし、神様を信頼していないということです。

必要なものは必ず与えられる、と神様をしっかり信頼して、愛を受け止めて、新しい一年を生きたいと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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