「信じる者は救われる」ではなく「救われた者が信じる」【聖書からよもやま話279】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の98篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 98篇1節

新しい歌を主に歌え。
主は奇しいみわざを行われた。
主の右の御手 聖なる御腕が
主に勝利をもたらしたのだ。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

「神様を褒め称えよ!」って詩です。どうもこの詩はイスラエルの民がバビロン捕囚から解放された時のものらしいです。民族最大の苦難から解放された喜びはいかほどのものだったでしょう。そこで「自分たちで勝ち取ったぞー」と言わずに「神様の勝利だ!」と言っているところにイスラエルの人たちの謙虚さと信仰を感じます。

もっとも、この解放はペルシャのキュロス2世がバビロニアを滅したために起こった、イスラエルの民にとってはいわば「棚からぼたもち」的なことでしたから、普通に考えても「自分たちの勝利だ!」とは言いにくかったのかもしれません。

ここで注目したいのは「歌え」と「神の勝利」の順番です。ここで記されている時系列は「神の勝利」が先で「歌え」が後です。「神様が勝利したから、神様を讃えよう」という順番です。決して「神様が勝利するように、神様を讃えよう」ではありません。
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日本人の宗教観では、神仏に対してまず人が行動を起こし、それに応じて神仏が動きます。まずお賽銭を入れたり願い事をしたりして、それに応じて神仏が願いを叶えてくれたりします。つまり人間が神仏の行動を導いています。神様と人間の関係が人間手動で成り立っています。一方で聖書の宗教観では、先に神様が動き、それに対して人間が応答します。神様が先に僕たちに愛や恵みを与えてくださって、人間はそれに対する感謝を、賛美の歌や祈りや礼拝によって捧げます。神様と人間の関係はここではあくまで神様主導です。

聖書において大切なことは、まず神様からの恵みを受け取ることです。先に神様に働きかけることではありません。「○○をしたら神様が応えてくださる」という考え方は反対に言えば「○○をしなかったら神様は応えてくれない」ということになります。神様はそんなに狭量な方ではありません。先に惜しみなく与えてくださる方です。だから信仰において最も大切なことは何かをすることではなく、受け取ることなんです。受け取ることから信仰は始まるんです。信じれば救われる、のではなく、救われたから信じるのです。

「ありがとう」は何かをしてもらった後に言う言葉です。先に「ありがとう」と言っておけばきっと本当にやってくれる、というのはちょっと邪道な使い方です。神様への応答もそれと同じです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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