愛のコツは、伝わらない場所でも愛することです。【聖書からよもやま話188】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、  ピリピ人への手紙の1章です。それではよろしくどうぞ。

◆ピリピ人への手紙 1章8節

私がキリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、その証しをしてくださるのは神です。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

「壊れるほど愛しても1/3も伝わらない(SIAM SHADE『1/3の純情な感情』より)」なんて歌が流行ったのは、早いものでもう25年も前のことになりますけれど、25年経っても誰かに愛情を伝える難しさは僕の中で少しも変わりません。むしろ若くなくなった分だけ難しくなったようにさえ思います。若い頃は勢いで「好きだーーーー!」とか「愛してまーーーす!」なんて叫んだりもできましたけど、おじさんになった今、それをする勇気はなかなか出ません(それを堂々といつも叫び続ける新日本プロレスの棚橋選手には尊敬の念を抱きます)。

恋人でも友人でも仕事仲間でも、そしてもちろん夫婦でも「私はあなたを大切に思っています」という気持ちは、意外となかなか相手に伝わらないものです。たぶん失恋の辛さって、自分の思いが叶わなかったことよりも、自分の思いが伝わりきらなかったことの方にあるのかと思います。お互いがお互いの「大切だよ」という気持ちを100%伝えあって受け止めあうことができれば、きっと世界はもっとずっと平和で幸せになると思います。

でも、残念ながら人間にはそれはできないのだと、今日の聖句には書いてあります。人が誰かを大切に思う気持ち、それを100%知って、証明してくださるのは神様だけです。しかしこれを僕は必ずしも「残念ながら」とは思いません。だってここで神様が言っていることは「君がどれだけその人を愛しているか、たとえその人になかなか伝わらなかったとしても私が知っているし、私がその証人になるぞ!」ということですから。だから僕たちは伝わるか伝わらないかなんて気にせずに、安心してひたすら愛し続ければいいんです。

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このことを知らないと、愛って「伝わらなくちゃ意味がない」とか「伝えなくちゃ意味がない」ものになってしまって、ともすれば「伝えるために愛する」のような本末転倒が起こってしまったりします。「あの人は今は見ていないからいいや」とか「あの人の見ている前でだけ愛情表現すればいいや」とか、そんな風に思えてしまったりします。奥さんの前では「愛妻家」を気取るけれども、奥さんの目の届かないところでは好きに遊ぶ、なんて方もいらっしゃいますものね。上司の前でだけいい顔をして、上司のいないところでは悪口を言うような方もいらっしゃいますものね。でも、そんな姿も神様はきっちり見ていて、しかもそれを証言してくださってしまうんです。本当に愛しているなら、相手がみていようがいまいが関係なく、その人への愛が溢れ出てくるはずです。

どうも最近、夫婦関係・恋人関係・友人関係・仕事の人間関係などなどがうまくいかない・・・とお悩みの方、いらっしゃいませんか。そんな方は「見えないところでこそ愛する」をぜひ試してみてください。大丈夫、その人が見てくれていなくても神様が見ていますし、神様が必ずその人に思いを伝えてくれます。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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