イスラエルの故郷への想いはまるでラブソング【聖書からよもやま話4】

今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1089章からランダムに選ばれた章から、皆様の役に立つこととか立たないこととかを話してみようという【聖書からよもやま話】、
今日、選ばれたのは旧約聖書、詩篇137篇です。まだまだ手探りでこの先どうなるかわからない企画ですが、今日もよろしくおねがいします。。

◆詩篇137篇5節

エルサレムよ
もしも私があなたを忘れてしまうなら
この右手もその巧みさを忘れるがよい。

この詩はバビロン捕囚の頃に歌われたもので、故郷エルサレムから無理やりバビロンに連行された人たちが、故郷を思って歌ったものです。

バビロンの人たちはイスラエル人に言いました。「君たちの故郷の歌を歌ってみてよ」
でもイスラエル人たちは「異国の地で私たちの神様を讃える歌を歌うなんて!」と、竪琴を脇に置いて嘆きました。「もしもエルサレムのことを忘れてしまうなら、竪琴を弾くこの右手の技術ももう要らない!」と。

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この箇所、「エルサレムよ」のところを、愛しい異性に置き換えたら、とても叙情的なラブソングになりますよね。「あなたのことを忘れてしまうなら、ピアノを弾くこの手はもういらない」みたいな感じです。

愛する人に会いたい気持ちと、故郷を思う気持ちって、共通点が多いのでしょうね。それほどまでに思う恋、僕も昔はありました。でも今は思い返すことも減りました。あれほど熱烈だったのに。それを思うとずっとエルサレム への望郷を忘れなかったイスラエル人たちはすごいと思いますし、きっと神様がそれを保ってくれたんだなと思います。

それではまた。
主にありて。MAROでした。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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