イスラエルの故郷への想いはまるでラブソング【聖書からよもやま話4】

今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1089章からランダムに選ばれた章から、皆様の役に立つこととか立たないこととかを話してみようという【聖書からよもやま話】、
今日、選ばれたのは旧約聖書、詩篇137篇です。まだまだ手探りでこの先どうなるかわからない企画ですが、今日もよろしくおねがいします。。

◆詩篇137篇5節

エルサレムよ
もしも私があなたを忘れてしまうなら
この右手もその巧みさを忘れるがよい。

この詩はバビロン捕囚の頃に歌われたもので、故郷エルサレムから無理やりバビロンに連行された人たちが、故郷を思って歌ったものです。

バビロンの人たちはイスラエル人に言いました。「君たちの故郷の歌を歌ってみてよ」
でもイスラエル人たちは「異国の地で私たちの神様を讃える歌を歌うなんて!」と、竪琴を脇に置いて嘆きました。「もしもエルサレムのことを忘れてしまうなら、竪琴を弾くこの右手の技術ももう要らない!」と。

Image by Free-Photos from Pixabay

この箇所、「エルサレムよ」のところを、愛しい異性に置き換えたら、とても叙情的なラブソングになりますよね。「あなたのことを忘れてしまうなら、ピアノを弾くこの手はもういらない」みたいな感じです。

愛する人に会いたい気持ちと、故郷を思う気持ちって、共通点が多いのでしょうね。それほどまでに思う恋、僕も昔はありました。でも今は思い返すことも減りました。あれほど熱烈だったのに。それを思うとずっとエルサレム への望郷を忘れなかったイスラエル人たちはすごいと思いますし、きっと神様がそれを保ってくれたんだなと思います。

それではまた。
主にありて。MAROでした。

 






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