【哲学名言】断片から見た世界 J・S・ミルの言葉

「私たちが、大学教育を受けることから得られる利点とは?」   J・S・ミルの名誉学長就任演説

大学の学長就任演説というと、普通に言えばお昼寝にはうってつけの時間かとも思われます(?)が、時には、人々を感動の嵐で包むこともあるようです。1867年2月1日、J・S・ミルが60歳の時に行われた、名誉学長就任演説の最終部分の言葉を聞いてみることにしましょう。ミルが、大学で学ぶことから得られる「報酬」について語っている箇所です。

「私は[…]報酬を眼前に示して、諸君をそそのかすつもりは毛頭ありません。[…]報酬が与えられるなどということを考えなければ考えないほど、われわれにとってはよりよいのであります。しかしただ一つ、諸君の期待を決して裏切ることのない、いわば利害を超越した報酬があります。[…]では、それは一体何であるかと申しますと……。」

二、三時間ほど続いた演説の終わりにこの答えが語られた後、聴衆の拍手はしばらく止むことがなかったそうですが、その答えとは一体、どのようなものだったのでしょうか。まずは19世紀のイギリスを代表する哲学者である、ミル自身の人となりを見てみることにしましょう。

ミル少年に課せられた、「超天才教育」

そもそも、教育というテーマとジョン・スチュアート・ミルとの間には、生まれた時から浅からぬつながりがありました。それというのも、彼自身の人格形成は、彼のお父さんによって行われた有名な「天才教育」によって進められることになったからです。

ジョン少年のお父さんのジェームズは、一度考え始めたことはどこまでも貫き通して突き進むという、典型的な「情熱の人」(一種の暴走機関車であると言えなくもない)でした。これに加えて、ジェームズの友人で、有名な哲学者でもあったベンサム(功利主義の思想で知られる、あのベンサムです)までもが幼いジョン少年の才能に惚れこみ、二人で結束して「この子こそ、われわれの思想を継ぐ『選ばれし者』であるに違いない……!」と燃えに燃えまくったために、父の教育への熱は、際限なくエスカレートしてゆきます。

その結果、ジョン少年はなんと3歳でギリシア語を学び始め、11歳の時にはローマ史の論文を書き上げ、平均して一日に十時間以上も勉強し続ける「人造人間ジョン」(!)としての成長を遂げてゆきます。このままでゆくと、どこかで何かしらの無理が来るのではないか……との大方の予想は避けえないところですが、まさしくジョン青年が20歳の時、彼はついに「たとえ僕の人生の全てが上手く行ったとしても、僕は絶対に幸せにはなれないんだうわああん!」とある秋の朝に崩れ落ち、その後は一年間の沈滞の時期を過ごします。その姿はあたかも、張り詰めていた糸が突然ぷっつりと切れてしまったかのごとしだったそうですが、彼はなんとかこの危機も乗り越えて、成長して立派な哲学者になりました。

名誉学長の言葉:ミルが大学の学生たちに、伝えたかったメッセージとは?

時は経ち、J・S・ミルは時代を代表する哲学者として、名誉学長就任演説の壇上に立つことになりました。さまざまな労苦を乗り越えてきたベテランの思索者として、彼はセント・アンドルーズ大学の式典の場で語っています。若い人々は、自分たちが学生投票でミルを学長に選出したこともあって、一体この人がどんなことを言うのだろうかと大いに期待しながら、まっすぐに彼の方を見つめています。

講演を締めくくるにあたって、彼は、大学教育の究極の目的を、「自分自身を『善』と『悪』との間で絶え間なく繰り返されている激しい戦闘に従事する有能な戦士に鍛え上げ」ることであるとまとめます。「戦士」というと非常に勇ましい感じがしますが、同じことは私たちの時代の学長演説においても、表現を変えて言われ続けていますね。大学とは、知恵のある「戦う人」を育てるための場であるというのは、今も昔も変わらない真理であると言えるのかもしれません。

しかし、いよいよ話を終える段になってミル新学長は、大学で教育を受けることから得られる、いわば利害を超越した報酬が一つあると付け加えます。その報酬の中身とは……。

「では、それは一体何であるかと申しますと、『諸君が人生に対してますます深く、ますます多種多様な興味を感ずるようになる』ということであります。それは、人生を十倍も価値のあるものにし、しかも生涯を終えるまで持ち続けることのできる価値です。単に個人的な関心事は歳を経るに従って次第にその価値が減少してゆきますが、この価値は減少することがないばかりか、増大してやまないものであります。」

一見すると地味な答えにも見えますが、ここには大学の、そして、あらゆる教育の営みから与えられる最上のものが、しっかりと言い表されているのではないでしょうか。私たちのほとんどは、映画や小説のようにドラマティックな生涯を生きることはないかもしれません。しかし、日常のうちで起こるさまざまな出来事や、耳に入ってくるニュース、そして、私たちの人生を取り巻く隣人たちとの関わりの一つ一つに至るまで、ああ、なんと全てのことは興味深いのだろう、生きるとは、かくも味わい深いものであろうかと思えるようになったとしたら、その時には私たちは、私たち自身に与えられた一回限りの「教育」のすべてを、かけがえのないものと思わずにはいられなくなるのかもしれません。ミルの講演の最後の言葉には、どこか狭い意味での大学という枠を越えているようなところがあります。

おわりに

人生の形は色々ですが、「忘れることのできない『あの先生』を持たなかった人はいない」ということだけは、誰にとっても変わることのない法則であると言えるのかもしれません。ミル自身はといえば、あの忘れがたい少年時代の学びの日々を共に過ごした彼の父親(生涯を通して独立独歩の道を歩み続けた彼の、たった一人の「先生」)に対しては、生涯、感謝の念を持ち続けていたとのことです。与えられる一つ一つの出会いから最上のものを学びとることが、人生を善く生きるための秘訣なのかもしれません。

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