誰かが信じてくれないと生きていけない(前編) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第13回

Silas Camargo SilãoによるPixabayからの画像

あなたのことを何があっても信じてくれる人はいるだろうか。たとえ世界中があなたを悪者扱いしたとしても、それでもあなたを信じ、あなたの側に立ってくれる人はいるだろうか。

誰かが何かを主張したとする。私はその人の性格や能力、これまでの生き方、つまり過去を鑑みて信じるに値するかを判断する。だがそれは真の意味で「信じる」ということではなく、相手を自分の期待値、理解、推測しようとする行為ではないか。その人の存在を自分の尺度で捉え、またその人の現在と未来を過去を基準に見るのは、信じていることにはならない。真に相手を信じるとは、たとえ相手が間違っていたとしても、未来の可能性がたとえ1%、大失敗が確実でも、相手と同じ側に立つことではないだろうか。

そのことを、私は患者のBさんに教えられた。私の父親と同い年くらいのBさんは、神経難病を患っている男性だ。もうこれ以上の治療をすることができず、人生最後の日に向かって1日1日を歩んでいる。私は月に2、3度、Bさんの部屋を訪ね、これまでのこと、趣味の切手集めなど、さまざまなことを聞かせてもらっていた。

しかし、最近のBさんは薬の副反応、認知症、神経症などさまざまな状況が重なり、妄想や、幻覚が見えるようになっていた。「今も誰か、私たちの話を盗み聞きしている!」「50年以上集めていた切手のコレクションのファイルから、看護師が毎晩1枚ずつ盗んでいる!!」――Bさんは震えながら、目を真っ赤にしてそう訴えてきた。

「いや、まさか、さすがにそれはないだろう……。妄想だ」。私は即座にそう思った。だが、その最中でもBさんは廊下の方を探るような目つきで凝視し、「今も誰か、私たちの話を盗み聞きしている!」と怯えている。Bさんのご家族は、「お父さん、しっかりして! 誰も監視などしていないし、切手も誰も盗んでなんかいない! 前向きに毎日を大切に過ごして!」と必死に伝えた。これまでのBさんとはかけ離れた姿に、ご家族は苦しみ、心がかき乱されているようであった。そしてBさんは、精神科を受診することになった。

するとBさんは、目に涙を浮かべながら話した。「私はね、治療をしたくてここに来て、でも治療ができなくて、それでも一生懸命生きている」「薬の副反応、幻覚、せん妄とか、認知症でこうなることがあるのは分かっている。でもね、誰も信じてくれないのが本当に悲しいんだ! 私だって人間。誰かが信じてくれなければ生きていけないよ!」

Bさんの魂の叫びに、私の魂は激しく揺さぶられた。そして、私は決めた。Bさんの主張が正しいとか、正しくないではなく、ただただBさんの心の横に自分の気持ちも置かせてもらおうと。「Bさん、24時間監視されたならば、どれだけ苦しく不安でしょうか。集めていた切手、それもこれも本当に大切な1枚なのですよね……」。たとえ事実と異なっていたとしても、ただただBさんの真実の側に立たせてもらうのだ。

Bさんの身体の病に対して、治療はない。そして今、この瞬間にBさんを苦しめているのは病だけでなく、極限の恐怖と悲しみの中にいるBさんの言うことを誰も信じてくれないという事実だった。

家族は関係性が近すぎるが故に、Bさんの感情を受け止めることはできない。医療従事者たちはまず、Bさんの病を見なければならない。そんな中、誰かが信じることがBさんの救いになるのであれば、その一人になれるのはチャプレンなのではないか。(「後編」へつづく)

*個人情報保護のためエピソードはすべて再構成されています。

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