1月25日「人生の中身」

詩編124編は悩みを深く掘り下げ問題を深く探究し、そこにもわたしたちの味方である神が存在することを見出している一人の人物の実例である。……信仰とはわたしたちの存在の最も困難な側面から展開するものであり、最も容易な側面からではない。信仰の人とは運がよく、消化器系がよく、明るい性格で産まれてきた人ではない。教会の外部の人がクリスチャンは天真爛漫(てんしんらんまん)で守られていると考える想定は真実とは正反対である。クリスチャンは他の誰よりも人生の葛藤や罪の醜さをよく知っている。

天を見上げると、息を吞むような驚きと荘厳さをもたらすことが可能となる。もし、信者であれば、天地を創造した神に対して賛美の念を抱くことが出来る。しかし、詩編は別な方向を見ている。詩編は歴史の問題や個人的な葛藤や心の傷の不安を見つめている。さらに、詩編はそこにもわたしたちの味方となっている神がおられ、神がわたしたちを助けることが出来ることをも見ている。近くで見ると、また、顕微鏡で見るように竜の恐怖や洪水の水や投獄する罠を見る時、そこにも開放してくださる神の御業を見ている。

わたしたちは地獄のような世界でも、賛美の言葉を発する。わたしたちは物ごとがはちゃめちゃになっている世界でも、わたしたちは勝利の賛美の歌を歌う。わたしたちは自分たちを理解せず、励ますこともしない人々の間でも、喜び生きて行く。というのも、わたしたちの人生の中身は神であって、人間ではない。

わたしたちは患難(かんなん)に囲まれていても賛美を叫び続ける。というのは、その艱難がわたしたちの中にある激しい忍耐を生みだすことをわたしたちは知っている。さらに、その忍耐が徳を鍛えられた鋼を鍛え、神が次に何をしようともわたしたちを警戒させることを、わたしたちは知っている。
― ローマの信徒への手紙5章3、4節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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