【8・15集会】重慶大爆撃から人間の尊厳を考える 爆撃は生きていたことも、死んだことも正確に数えることを許さない

日本キリスト改革派西部中会・世と教会が主催する8・15集会が11日、日本キリスト改革派・神港教会(神戸市)およびオンライン(YouTube)で開催された。日本キリスト改革派・岡山教会牧師の柏木貴志氏が、「想像力の翼を広げて、爆撃の煙の中へーー今、重慶大爆撃幸存者の言葉を聞き直すーー 」と題してメッセージを行った。会場には63人、オンラインではリアルタイムで54人が視聴した。

柏木貴志氏(YouTubeより撮影)

メッセージのテーマとなった「重慶大爆撃」は、日中戦争中の1938年12月から41年9月にかけて、中国の国民党政権の臨時首都となっていた重慶市にたいし、旧日本軍が、無差別爆撃をくり返し、一般市民を含む人々を殺傷した大規模な戦略爆撃。被害は死傷者2万6千人、焼失家屋1万7千戸。防空壕で数千人から1万人以上が窒息死したとされる。特に、39年5月3日と4日にわたる攻撃による惨劇は、日本軍がおこなった残虐な蛮行として今も語り継がれている。

柏木氏は1982年生まれ。大学時代に広島原爆について調べる中で、重慶大爆撃のことを知り、以来、何度も現地に通い、当時の爆撃の幸存(こうぞん)者(=生き残った被害者)から聞き取り調査を行ってきた。その一方で、広島の原爆被害者などからも聞き取りを行っている。メッセージの中でも、広島原爆により亡くなった人数に約2万人の誤差があることを伝え、「爆撃は、そこに生きていたことも、死んだことも正確に数えることを許さない」と語った。

「死んでいった者は本当に悲しかっただろう、しかし生きてきたものも大変だった。死んだ人がうらやましく思えたこともあった。しかし、あの爆撃で私は死ぬことができなかった」は、重慶大爆撃の幸存者がふともらした言葉だ。柏木氏は、「爆撃にあって助かったとしても、それは追体験され、生き続ける限り爆撃に遭遇し続けている」述べ、「生き残った人たちの怒り・憎しみが和らぐことはあるが、寂しさや悲しさが消えてなくなることは絶対ない」と力を込めた。

「戦争を忘れていけない」は、戦争体験者にとって残酷だ。思い出すことで過去の出来事を体験してしまうからだ。苦しい思い出は忘れたほうがいいはずなのに、そうさせないのは、戦争の悲惨さを忘れ、今も世界が人間の頭の上に爆撃を落とすからだと話し、次のように続けた。

だから語り続ける。直接爆撃は落としていないにしても、この愚かな世界に向き合うことが私の戦争責任だと思っています。重慶大爆撃と22世紀を生きる私たちの間には、時間的な距離があります。それを超えることができるのは、それは想像力によるものです。可能な限りの実証的・客観的に支えられた事実によって想像力の翼は広がっていきます。

1903年にライト兄弟によって発明された航空機は、20年も経たないうちに兵器として使われるようになった。柏木氏は、これまでいかに航空機が戦争に使われてきたかを振り返った。重慶大爆撃証言者の聞き取りを紹介し、爆撃はほんの一瞬で人間の命を奪い、その後の人生を全く違うものにしてしまうことを明らかにし、「爆弾は、人間の尊厳を奪うもの。その略奪は、爆撃それ自体にとどまらず、その後にも長く続くものです」と続けた。

また、日本が受けた東京大空襲など都市空襲は、重慶大爆撃の延長上にあり、また現在、ロシアがウクライナでなしている爆撃は、この重慶大爆撃の延長上にあるとする。

2006〜19年にかけて中国は、旧日本軍がおこなった残虐な蛮行を日本政府を訴えたが、棄却されている。裁判を傍聴した柏木氏が鮮明に覚えているのは、日本政府の代理人たちが、重慶の人たちの証言に耳を傾けようとしない態度だった。手を震わせ、涙ながらに話してもそれを見ようとしない。それでも、重慶の人たちは忘れてほしくないと、平和のためにと語り続けた。その姿から、たとえ大きな歴史が小さな人間を飲み込んでしまっても、奪い得ないものがあることを教えられたという。

柏木氏は、「戦争をしていけない」とよく言われる言葉は、被害者にならなければ、加害者になっても構わないということで用いられているように感じると話す。そのうえで、ウクライナの惨劇を見て、ウクライナのようになることを恐れるが、日本の歴史はロシアの側に立ったものであり、恐れなければならないのは侵略する側に回ってしまう愚かさであることを強調した。今こそ平和を真剣に考えなければいけないと訴え、最後にこう締めくくった。

私にとって平和を求めるということは、広島の重慶の人たちと言葉を持って連帯するということ、その言葉から平和を希求することです。それでも、小さな人間を略奪する時が来るかもしれません。その時は、理想のために争いたい。爆弾を落とされる側になって、ここに人間がいるということを叫びたい。人間には奪えないものがあることを証するために。

 

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