オアシスとしての『クイア・レッスン』(中編) レズビアンの総理大臣がほしい!

クイア・レッスン -私たちがLGBTQから学べること- (エメル出版)

前編はこちら 

後編はこちら

クイアとは根本的に「抵抗」のニュアンスを含む用語だ。人々の間にある違いを明確化・カタログ化し、そのアイデンティティの違いを基礎にした権力や特権配分の仕組みを構造化することを、クイアたちは妨害する。

(『クイア・レッスン』第二章より)

 「クイア」と聞いてもピンと来ない方が多いのではないだろうか。英語圏において「変態」や「奇人」を意味し、主に性的少数者を貶めるために用いられてきた呪いの言葉なのだが、どうしても「キウイ」や「くわい」を連想してしまうのは私の食い意地のせいだろうか。「クイア」という言葉が帯びている強度を感覚的に理解できる英語圏の読者を想定していることもあってか、「クイア」という血と涙と恐怖のにじんだ言葉が、どんな人々によって転覆的[1]に取り戻され、どんな経緯で政治運動や学問の分野で使われ始めたのか、に『クイア・レッスン』はそんなにページを割いていない。

  著者のサンダースの「クイア」の定義や用法について疑問を抱いてしまう要素もいくつか見受けられる。冒頭の引用のように「抵抗」の意味合いを一部では強調しながらも、基本的には「ケアと啓発のための共同体形成」に強調点が置かれているように見える[2]。「クイア」という言葉の持つ勢いや過激さが削ぎ落とされ、哀しみと痛みを内に含んでいるのはわかっていても「アッパレ!」と言わずにはいられない先鋭的かつ対立的な抵抗のスタンス、そしてそれを目の当たりにした時にもたらされるチクチクドキドキハラハラワクワクがぼやかされてしまっている気がするのだ。

 もちろん、言葉は常に意味合いを変化させていて、どんな印象や効果を受け取り手にもたらすかをコントロールすることはできないし[3]、さまざまな要素が複雑に絡み合って発展してきたクイア政治運動やクイア理論のいきさつを説明し尽くすことは不可能である。サンダースによる「クイア」の用い方は、彼の全方位的な心配りとバランス取りの賜物であることは想像に難くなくて、大いに共感を覚えるものでもある[4]。けれども、当時口にするのもはばかられたようなドギツイ侮蔑語である「クイア」が「変態(クイア)で悪いか! ボケェ!」というスピリットの下、政治運動や学問の領域で発せられるようになった切迫感とそこから湧き上がってきた先鋭的な抵抗のスタンスは「クイア」を語る上では欠かせない要素であるように思えて、だからこそサンダースの説明は私には物足りないのである。

 「クイア」が政治の場で用いられるようになる端緒をACT UP(AIDS Coalition to Unleash Power)というニューヨーク発祥の草の根運動団体に見出す研究者は少なくない[5]。1980年代のエイズ危機の最中、「あいつらは変態(クイア)だから命を救うに値しない。あいつらは神からの当然の報いを受けているのだ」と政府や製薬会社、キリスト教会から見殺しにされていた性的少数者らやその友人たちが「クイアで何が悪い! お前たちの基準で差別するな! 断罪するな! 殺すな! 薬を開発しろ! 薬をよこせ! 正しい性教育をしろ!」と反旗を翻したのがACT UPを初めとする政治運動だった。その抵抗手段もまた鮮やかで、高校の前でコンドームを「安全なファックのしかた」というパンフレットと一緒に配布したり、偏見を垂れ流す議員の家を巨大コンドームで覆ってしまったり、性教育やコンドーム使用、同性愛を非難するカトリック教会への抵抗運動としてニューヨークの聖パトリック大聖堂のミサの最中に突如AIDSによる死者を模して皆で寝そべってみたり[6]。その「死んだふり抗議(Die-in)」は、教会への非難のかけ声に転じ、口笛や叫び声が飛び交い、コンドームが宙を舞い、会堂の内も外も「私たちを殺すな!」という「賛美」で満たされたそうな。ハレルヤ!

 ACT UPを一つの契機として、「クイア」 はそれまでの同化主義的な「ゲイ・アクティヴィズム」と一線を画す対立的な政治姿勢を表す言葉として転覆的に当事者らの手によって取り戻され[7]、AIDS危機によって命を脅かされていた多様な人々を動員し、セクシュアリティに限定されない人種・ジェンダー・貧困・国家・刑務所・ドラッグ・セックスワーク・医療・社会保険 なども分析と抵抗の射程に取り入れ[8] 、性的アイデンティティに限定されないより雑多で広範な連帯と抵抗の運動を展開していったのである。クイアは「本質を欠いたアイデンティティ」であり、「普通とされているもの、合法的なもの、支配的なものと対立する一切合切のものである[9]」。普通ってなんだ! 勝手に決めるな! 「普通」の物差しで叩くな! 変態で何が悪い! 「普通」の名の下に殺人を正当化するな!

 私の限られた知識と国語力では、どんなに言葉を尽くしても、クィア政治運動の持つ勢いや先鋭さ、深い悲哀と怒りと痛みをエンジンにした拡散力と鮮やかさ、そこに込められた抵抗と変革への意志と切望を伝えることはできそうもないので、最後に一つの詩を翻訳してこの論稿を締め括りたい。ACT UPに参加し、その後ACT UPから派生したFierce Pussy(猛烈な女)というレズビアン・フェミニストの運動団体に属していたゾーイ・レオナルドという芸術家によって書かれたもので、クイア政治運動に息づく意志と切望を表現しているように思うのだ。

 このクイアのスピリットをサンダースはどう受け止め、どう消化しているだろうか。あなたは何を感じ、何を「クイアのレッスン」として受け取るだろうか。

————————————

「大統領がほしい」(ゾーイ・レオナルド、1992年)

レズビアンの大統領がほしい。エイズ患者の大統領がほしい。おかまの副大統領がほしい。健康保険に入れていない、土壌汚染のひどい場所で育って白血病になってしまった人がいい。16歳で中絶を経験した大統領がほしいし、「最悪な二人の内のまだマシな方」と言われないような候補者がほしい。愛する人をエイズで失い、毎晩その人を想い、その腕で死にゆく相手を抱きしめ、死を実感した大統領がほしい。エアコンを持っていない大統領。クリニックや免許手続きやハローワークで待ちぼうけを食わされたことのある大統領。職につけず、解雇され、セクハラされ、同性愛差別にさらされ、強制送還されるような大統領がほしい。墓地で夜を明かしたことがあって、家の芝生に燃える十字架を立てられたことがあって、レイプを生き延びたことのある人がいい。愛を経験し、傷つき、セックスを大事にし、失敗してもそこから学ぶような人がほしい。黒人女性の大統領がほしい。歯並びがガタガタで、けれどもなんだかとても強気で、クソまずい病院食ばかり食べている人。異性装者で、薬物に手を出してセラピーを受けたことのある人がいい。市民不服従運動に参加したことのある人がいい。どうしてそれが実現不可能なのか教えてほしい。どうしていつも決まって大統領は道化師なのか。大統領がセックスワーカーじゃなくて、顧客側の人間なのか。労働者じゃなくて、雇用主なのか。どうして大統領はいつも嘘つきで、盗人で、けれども決して逮捕されることがないのか、教えてほしい[10]


[1] クイア政治運動についての英語文献でよく用いられているsubversiveという言葉の自分なりの訳語。元々ネガティヴな言葉だった「クイア」を、自分たちの存在・連帯・抵抗を表す言葉として積極的に使用することによって、「普通=良いこと/クイア(変態)=悪いこと」というような二分法的な意味体系を転覆させるだけでなく、そのような二分法的な意味づけを可能にしている差別的・抑圧的な社会や文化も根底からひっくり返すような政治運動を希求した、という意味での「転覆的」。←三文字に色々込めすぎだろ。

 

[2] 冒頭の引用のように「抵抗」の意味合いを一部では強調しながらも(『クイア・レッスン』13-6、以下のページ数すべて同書から)、「LGBTTQQIAAなどのセクシュアリティやジェンダーを示す小難しい頭文字を持つグループを指す単純な省略形」としての用法を紹介し(12)、一方では「クイア」を「非異性愛者」の同義語に縮約して使用しているように見える部分が散見される(55, 61)。「クイア」という言葉が実際に政治や運動の領域で用いられ始めた時期の記述においても「抵抗」よりは「ケアと啓発のための共同体形成」に強調点が置かれているように思えるし(101-3)、「急進派VS改革派」のような解像度の粗い二分法的構図の下に「クイア」の持つ先鋭さを鈍化させているようにも見え(111-120)、最終的には「クイア」とほとんど関連がないように思える神学者ジョン・カプートに依拠した「赦し」についての「カプート・レッスン」が展開されてしまっている(223-261)。

[3] 「クイア」という言葉の意味や用法の変遷についてはJacek Kornak. Queer as a Political Concept. (PhD dissertation, University of Helsinki, 2015.) に詳しい。ここで紹介している文献については私に連絡していただけたら入手のお手伝いができるかもしれません。連絡先:dan1110tokyo@ジーメール.コム

[4] 私自身「約束の虹ミニストリー」という性的少数者クリスチャンを中心とした団体に関わり、多様な思想や背景を持つ人々と出会いながら対話や議論を重ねているので、バランスを取ることの大切さは痛く実感している。たとえ自分の意見を押し通して、歯に衣着せぬ批判をぶつけたところで、それで敵対関係を深めたり、対話や議論の可能性が断絶されたりして、結果としてすでに弱くされている人々が更に痛い目を見るなんてことがあったら元も子もないのである。日々、反省と学習です。

約束の虹ミニストリーのHPリンク:https://yakusokunoniji.amebaownd.com

「自動機械化した際限のない批判」への批判と、そうではないテキストの読み方の可能性を提示する代表的なクイア理論の論文としてはEve Kosofsky Sedgwickによる “Paranoid Reading and Reparative Reading. Or, You’re So Paranoid, You Probably Think This Essay is About You” in Touching Feeling (Duke University Press, 1993)(イヴ・コソフスキー・セジウィック. 岸まどか(訳) (2020)「パラノイア的読解と修復的読解、あるいは、とってもパラノイアなあなたのことだからこのエッセイも自分のことだと思ってるでしょ」. エクリヲvol.12「ポスト・クリティーク–– いま批評には何ができるのか」(エクリヲ編集部)に掲載).

[5] クイア理論の草創期に活発に研究・執筆に取り組んでいた二人の言葉:

「クィア理論について忘れ去られがちなことは、クィアという言葉がそもそも草の根の政治運動に由来しているということである。ACT UPは当時すでに社会からの恥ずかしめと規範化に抵抗する政治を実践し、性的アイデンティティに限定されないもっと複雑な政治行動のあり方を模索していた。そして、そこから他のいくつものグループが立ち上がり、その内の一つがQueer Nationだったのである。当時その名前は、誰もが吹き出してしまうほどに滑稽に聞こえたのを、私は覚えている。」(私訳)

Michael Warner. “Queer and Then?” The Chronicle of Higher Education. 2012. https://www.chronicle.com/article/queer-and-then/. Accessed 5 August 2021.

「ACT UPは(後に「クイア」という言葉を世に広めたQueer Nationとは)対照的に、AIDSの災難に見舞われたあらゆる人々をメンバーとして引き入れ、広範な領域において対立的な姿勢を取るという意味での純然たるクイアな政治運動を創り出した。AIDSアクティヴィズムはゲイたちの抵抗運動と性にまつわる政治運動を 、人種・ジェンダー・貧困・刑務所への投獄・静脈注射によるドラッグ使用・売買春・性嫌悪・メディア表象・社会保険改革・移民法・医療研究・「専門家」と呼ばれる人々の権力や説明責任などの事柄に取り組む人々の運動と結び合わせたのだ。」(私訳、括弧内は私の補足)

David M. Halperin. Saint Foucault: Towards a Gay Hagiography (Oxford University Press, 1995) p.63. (デイヴィッド・M .ハルプリン. 村山敏勝(訳). 聖フーコー–ゲイの聖人伝に向けて. 太田出版. 1997年)

[6] これらの抵抗運動のシーンは2018年にFOXチャンネルで放映され、現在はNetflixで配信されている『POSE /ポーズ』(シーズン2以降)に取り入れられている。フィクション化されている部分も多いが、AIDSアクティヴィズムの躍動を感じたい人におすすめ。フェミニズム/クィア理論研究者の清水晶子さんによる解説は以下のリンクから:https://www.vogue.co.jp/change/article/feminism-lesson-vol6(Motoko Jitsukawa. 「現代カルチャーシーンフェミニズム〜ドラマが教えてくれること【VOGUEと学ぶフェミニズムVol.6】Vogue. 2020年9月20日. Accessed 5 August 2021. )

[7] 「ACT UPによる政治介入は同性愛やセクシュアリティ全般についての慣習的な理解に大きな揺さぶりをかけた。実にACT UPは新しい『クイア』な世代に命を吹き込み、挑発的でセックス・ラディカルな政治運動によってストレートとゲイの体制派をまとめて震え上がらせたのだ。…ACT UPをまた、アカデミアにおけるクイア理論の誕生と拡散の発端とみなすことも可能かもしれない。」(私訳)

Deborah Gould. Moving Politics: Emotions and ACT UP’s Fight against AIDS (University of Chicago Press, 2009) p.5.

「1980年代後期、合衆国のゲイとレズビアン運動家たちはハードコアな政治運動を示すために『クイア』という言葉を使い始め、それは共和党ブッシュ(父)政権やキリスト教原理主義、エイズ危機などの「外部」に向けられ 、更にはそれらの事柄に対して無関心なゲイの体制派ら「内部」にも向けられた極めて戦闘的な怒りを表したのである。」(私訳)

Chris Woods. State of the Queer Nation: A Critique of Gay and Lesbian Politics in 1990s Britain (Continuum, 1995) p.29.

[8] 「クイア理論」を初めて提唱したと言われているテレサ・デ・ラウレティスの言葉:

「…人種やジェンダーに関する差異はクイア理論にとって極めて重要な関心事だ。人種やジェンダーに関する差異に分け入っていくことのみによって、私たちはそれぞれの歴史の具体性・部分性をよりよく理解し、連帯的闘争の共通目標を見出すための批判的対話を始められるのだ。」(私訳)

Teresa de Lauretis. Queer Theory: Lesbian and gay sexualities. Differences, 3.2 (Duke University Press, 1991)

註4も参照されたし。

[9] David M. Halperin. Saint Foucault: Towards a Gay Hagiography (Oxford University Press, 1995) p.62. 私訳

[10] 訳文で「レズビアン」とした元々の言葉は「dyke/ダイク」でレズビアンに対する蔑称。運動の場面では転覆的に連帯と抵抗のために用いられることもある。

英語の原文は “Zoe Leonard’s ‘I Want a President’” Hauser&Wirth. 2018.

 https://www.hauserwirth.com/ursula/28233-zoe-leonards-want-president. Accessed 5 August 2021.

ゾーイ・レオナルド自身による朗読の映像: https://www.youtube.com/watch?v=8rh7xXSi-l4

この記事もおすすめ