【断片から見た世界】『告白』を読む 「存在の歴史」の始まりに向かって

「存在論的差異」の概念に含まれている「歴史性」のモメント:哲学にとって、歴史とは何を意味するか

すでに見たように、ハイデガーの提出した「存在論的差異」の概念は彼にとって、これまで問われることのなかった未曾有の領域へと踏み入ってゆくために必要とされた、ほとんど唯一の可能な手がかりにほかなりませんでした。

「しかし《存在論的差異》(die ontlogische Differenz)という言葉を導入したのは、それによって存在論の問題を解決するためではなく、むしろ、従来は問われることのなかったものとして、すべての《存在論》をーすなわち形而上学をー初めて根本において問うに値するものにするあのものを名指すためなのである。存在論的差異の指摘は、あらゆる存在=論のーしたがってまたあらゆる形而上学のー根拠と基礎を名指すものである……。」

ここには、私たちのこれまでの探求においては表立って論じられることのなかった「歴史」の問題が深く関わってきます。今回の記事では、この観点から「存在論的差異」の概念を掘り下げてみることにしますが、この試みは同時に、『告白』の探求においてアウグスティヌスが出会ったものを見定めるための準備にもなるはずです。

「《存在=論》の根拠と基礎を問うことが必迫のことであり、必然となるような歴史的瞬間」:哲学の営みは、その根源へと回帰してゆくことを求められている

上に引用した発言に続いて、ハイデガーは次のような言葉を残しています。

1940年の講義「ヨーロッパのニヒリズム」における、ハイデガーの発言:
「しかし《存在論的差異》(die ontlogische Differenz)という言葉を導入したのは、それによって存在論の問題を解決するためではなく、むしろ、従来は問われることのなかったものとして、すべての《存在論》をーすなわち形而上学をー初めて根本において問うに値するものにするあのものを名指すためなのである。存在論的差異の指摘は、あらゆる存在=論のーしたがってまたあらゆる形而上学のー根拠と基礎を名指すものである。存在論的差異を名指すことは、《存在=論》の根拠と基礎を問うことが必迫のことであり、必然となるような歴史的瞬間が到来するということを示唆しようとするものである……。

ここで語られている言葉から読み取ることができるのは、思索する人間としてのハイデガーにとって、「存在論的差異」の概念を提起することは、哲学の歴史そのものにおいて生起するべき「出来事 Ereignis」に、あるいはその「出来事」が起こる決定的な瞬間に向かっての備えをすることに等しい意味を持っていたという点なのではないかと思われます。

すでに見たように、「ある」という根源的事実そのもの、そして、そのことの意味は常に忘れられてゆく動向のうちにあるというのが、ハイデガーがその生涯を通して抱き続けていた根本直観にほかなりませんでした。これから時間をかけて詳しく見てゆくことにしたいと思いますが、哲学の歴史は「ある」の衝撃によって目覚めさせられ、この衝撃に応答するようにして開始された一方で、この衝撃の出来事そのものの方は、その後の歴史の流れの中で忘れ去られていってしまいました。「形而上学」なる学問は、今から二千年以上前に古代ギリシアにおいて生起した根源的な「元初の出来事」から出発して生まれたにも関わらず、この「出来事」が向き合い続けるはずだった事柄から宿命的な仕方で逸れ続けている(従って、「形而上学」は「存在」に由来しながらも「存在」を隠蔽し続けるという両義的な傾向のうちに閉じ込められている)というのが、思索者としてのハイデガーが絶えることなく語り続けた歴史観であったといえます。

従って、「存在論的差異」を、「あるもの」と「あるということそのもの」の区別、存在者と存在の間に脈々として働いている差異をそれとして名指すことは彼にとって、哲学の歴史そのものを形づくってきたこの宿命的な忘却から向き直って、真に問題とするべき事柄へと回帰してゆくための手がかりを据えようと試みることを意味します。それはまさしく、彼自身が言うように、「存在」そのものが決定的な仕方で問われ直すような歴史的瞬間が到来するための準備を整えることにほかならないのであって、「生きることの無意味」という病のうちへと閉じ込められている現代という時代が自らの運命に向き合うためにはこの準備が不可欠であるというのが、『存在と時間』出版以降のハイデガーが年月をかけて練り上げていった歴史的見立てにほかならかったと言うことができるかもしれません。

哲学の営みは、どのようにして始まったのか?:「起源」と「将来」をめぐる問い

問い:
哲学の営みはかつて、どのようにして開始されたのか?そして、2023年の現在時において哲学することへと向かっている私たちは、この始まりに対してどのような関係のうちに立っているのか?

思索者としてのハイデガーが行った問いかけの大きさは、「哲学の営みはどのようにして始まったのか?」という問いを提起したという事実の内にも示されています。すなわち、私たちは「哲学的に物事を考える」という表現が日常的に、多かれ少なかれ用いられている世界の内に生き、また、書店やSNSなどにおいてはごく当たり前に「哲学の言葉」と呼ばれているものに出会うこともできるけれども、この「哲学」なる営みはそもそも、いかなる歴史的必然性に従って開始されなければならなかったのか。現代を生きている私たちが、「生きることの無意味」の、「私たちは生まれてくるべきではなかった」の傍らで、思索することを通してしか到達することのできない何物かを飢え乾くようにして求め続けているのは、いかなる運命に基づくことなのだろうか。

こうした事柄に「存在」の、「ある」の問題がどのように関わっているのかということは、一朝一夕で結論を下せるようなことではなさそうです。しかし、今回の記事で取り上げたハイデガーの言葉からも推察することができるのは、「起源」をめぐる問いは同時に「将来をめぐる問いでもあるのであって、哲学の始まりを問うことは、私たち自身が生きている世界がこれから向かってゆくべき方向を見定めることにも繋がっているということなのではないだろうか。

「存在論的差異を名指すことは、《存在=論》の根拠と基礎を問うことが必迫のことであり、必然となるような歴史的瞬間が到来するということを示唆しようとするものである。」数においては常に少数派にとどまり続け、また、規模においても極めて慎ましいものであったとしても、哲学の営みは古代から現代に至るまで、人間存在が自らの文化の向かってゆくべき道を決定するに際して深く静かな影響を及ぼし続けてきました。現代の人間は、「私たちは生まれてくるべきではなかったのではないか?」という見えざる問いかけに蓋をしたままで、目まぐるしい事物の流れに際限なく駆り立てられ続けることを運命づけられているのだろうか。それとも、「駆り立て」の動向のただ中で歩みを中断して立ち止まりつつ、「『生きることの根源的な意味』はどこにあるのか?」という問いを提起することが、あるいは可能なのだろうか。哲学の言葉は、「存在」の、「ある」の歴史の始まりに回帰してゆくことこそが、このことを真に可能にするはずであると告げている。実存そのものを賭けて思索し続けるという未曾有の営みが開始された、そのそもそもの始まりの出来事へと遡ってゆくことを通して、哲学する人間には、「わたしはなぜ哲学しているのか?」という問いに対する答えもまた示されることになるのだろうか。「ある」は考える人間がたまたま出会う主題の一つであるというのではなく、おそらくは、思索の営みにとっての運命そのものなのではないだろうか。もしそうであるならば、「ある」の歴史の始まりを問うことは、現代の人間がどこへ向かってゆくべきかを見定めることにも、必ずやどこかで繋がってこずにはおかないものと思われるのである。問われているものの大きさゆえに、探求がその主題にふさわしいものに熟するまでには相応の時間を有することが前もって予想されますが、この観点から言うならば、「存在の意味への問い」を問うことを通して、哲学する人間は必然的に「存在の歴史」の問題にも向き合うことになると言えるのかもしれません。

おわりに

「わたしは血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって、『生きよ』と言ったのだ」と信仰の書は語っていますが、哲学の営みもまた、その起源から現在に至るまで、このような実存の深淵において問いを提起することをためらってはきませんでした。ともあれ、上にも見たように、「存在の意味への問い」を問うことは性急に遂行しうるようなことではいささかもなく、時間をかけて哲学の営みそのものの起源の問題に改めて向き合うことを必要とするもののように思われます。私たちは、これらのことが『告白』におけるアウグスティヌスの探求とも深いところで関連を持つことを心に留めつつ、引き続き先に進んでゆくことにしたいと思います。

[この一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]

 






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