【インタビュー】キリスト教学校教育同盟新理事長 西原廉太氏(前編)

 

キリスト教学校の目的は、クリスチャンを増やすことだけではない

キリスト教学校教育同盟の第28代理事長に就任した西原廉太(にしはら・れんた)氏(55)に話を聞いた。キリスト教学校教育同盟は、プロテスタント系のキリスト教主義学校、102学校法人が加盟する団体。

西原廉太氏

西原氏は1962年、京都府生まれ。87年、京都大学工学部金属工学科卒業、91年まで日本聖公会中部教区名古屋学生センター主事、94年、聖公会神学院神学部卒業、95年、立教大学大学院文学研究科組織神学専攻修士課程修了、日本聖公会執事、98年、立教大学文学部キリスト教学科専任講師、2000年、助教授、07年、教授。現在、立教大学教授、立教学院副院長。博士(神学・関西学院大学)。専門はアングリカニズム(英国宗教改革神学)、エキュメニカル神学。日本聖公会中部教区司祭、世界教会協議会(WCC)中央委員を務める。

――歴代の理事長の中でほぼ最年少でのご就任ですが、このことについてどう思われますか。

現在、キリスト教学校教育同盟(以下、同盟)では、新しいプロジェクトを立ち上げ、さまざまな改革を進めているところです。また、「道徳の教科化」への取り組みなど、同盟の変革期でもあります。そういう中で、若輩者がこういう大役を仰せつかることは恐縮なことですが、「しっかり下働きをせよ」という召しかと思っています。

――日本のクリスチャン人口は1パーセントと言われていますが、その中でキリスト教学校は日本社会にどのような影響を与えてきたのでしょうか。

クリスチャンの数からすると、日本にはキリスト教は根づかなかったと考えている海外の研究者もいるくらいです。しかし、キリスト教は日本という社会の中でかなりの影響を与えてきました。教会はもちろんのことですが、それ以上にキリスト教学校、病院などの施設がその回路となっていると思います。特に学校は、教会と違って、クリスチャンでない方々が普通に足を踏み入れて生活をする場所。そういう意味で、キリスト教学校が果たした役割はとても大きいと思っています。

――ただ、学校の現状を見ると、クリスチャンの学生はほとんどいないと聞きます。この点について同盟ではどのようにお考えでしょうか。

キリスト教学校の目的というのは、それぞれの学校を作った教会の考えがあるので、必ずしも一つのことを共有しているわけではありません。多くのキリスト教学校は、キリスト教の授業は必修で、礼拝に出ることを条件とし、それによって日本の中にクリスチャンが増え、キリスト教が広がっていくことを願い、そのために学校を経営している。これはキリスト教学校においてオーソドックスな考えだと思います。それからいうと、クリスチャンがおらず、信徒が増えないキリスト教学校の現状は、その目的が果たせていないのではないかという問いにつながると思います。

その一方で、英国国教会が基になっている聖公会の考えはちょっと違います。英国国教会の考え方は「信徒=地域住民」で、教会のある地域に住む全員が信徒なのです。ですから、教会の信徒にとどまらず、地域社会、住民全員に対して関わることが教会の牧会的な働きとなります。地域住民の課題は、信徒の課題なんですね。たとえば、教育が足りないと思えば、教会の責任で、地域に学校を作る。医療が足りないと思えば、牧会的な責任として教会が病院を作る。それは決して信徒を増やすためではありません。信徒=地域住民にとって医療・教育が必要だったから、教会が担っていたわけです。

これは英国の話ですが、日本での聖公会立学校の歴史にも当てはまると思います。1874年に米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教が築地に教会を建てると同時に、この地に学校が必要だろうと考え、立教学校を設立した。のちに米国聖公会は、聖路加病院を建てた。しかし、彼らの意識は、決してただ信徒を増やすためではなく、キリスト教をベースとした建学の精神を持つキリスト教学校を作り、高等教育をするという考えでやってきたのです。これは、信徒を増やすというのとは考えが若干違うと思います。

――必ずしも信徒を増やすことが目的ではないということですね。大切なことは他にあると。

私たちが大切にしたいのは、たとえ洗礼を今の時点で受けないにしても、キリスト教の精神、イエスの教えの根幹というものを教育全体で伝えるということです。立教大学のスクールモットーは「Pro Deo et Patria」。ラテン語で「神と国のために」という意味ですが、さらに突き詰めれば、Deoは「普遍的な真理」、Patriaは「私たちが住んでいる社会・世界・隣人」という意味です。社会・世界・隣人のために生きることができ、仕える人間を生み育てるために立教がある。そのための学校経営なのです。だから、私たちは自信を持ってキリスト教教育をしていると言えるのだと思います。

さらに言えば、キリスト教学校教育同盟に加盟する学校はどこも、この二つ、真理を探求することと、共に生きる、社会・世界・隣人に仕えるというスクールモットーを持っていると言えます。そこがキリスト教学校が大事にしている点です。たとえ信徒でなくても、そういう深い理念を体で受け止めて、学校の生活を通して理解して、社会に入っていく。彼らが社会に与える影響は非常に大きいと思っています。一度でも礼拝堂でメッセージを聞いた経験があれば、卒業して僕ら世代になった時にいろいろ人生に悩んでも、ふと、「大学時代、チャペルがあったな。近くの教会に行ってみよう」という人も決して少なくありません。

「卒業したら、信徒が何人増えました」というデータも大切かもしれませんが、そんな簡単にクリスチャンが生まれるわけはありません。機械工場ではありませんから。神様が種まきをされ、私たちは一緒に耕し、面倒を見ているだけ。神様の愛と水とあたたかい光で、芽が出て、育っていき、いつか大きくなって、また花をつけ、実をつける。それは奇跡的なことかもしれませんが、そういうことが必ず起こるわけです。ですので、キリスト教学校というのは、手仕事的な役割をしていると思います。じっくり、ゆっくり、丁寧に、一人ひとりに、です。これもまた同盟が共有している理念です。

キリスト教学校教育同盟の起源は、1899年の「文部省訓令第12号」(宗教教育を禁じる法令)強制という事態に直面し、キリスト教教育の危機に立たされたキリスト教学校が、結束してナショナリズムに抵抗したことにあります。道徳教育についても、「ダメなものはダメ」と言わないといけない。私たちの大事な学生を二度と戦地に送らないという決意もあります。世界のキリスト教が大事にするのは、「正義・平和・いのち」の3つ。時には、政府、国家が行うことに抵抗する。それこそがミッションであり、そのためにキリスト教学校があるわけです。これは、私が理事長を引き受けた理由の一つでもあります。(後編へ続く)

 






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