4月22日「わたしたちは主のもの」

わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(ローマ信徒への手紙14章8節)

今日の聖句は、生きる時も死ぬ時も、私たちは一人ではない、私たちには私たちをしっかりと捉え、持ち運んでくださる主がおられるという、キリスト者の喜ばしい信仰告白である。私たちキリスト者がこのように言える根拠は、イエス・キリストの死と復活である。「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです」(9節)。罪のために神に捨てられ死んでいた私たちのために、神の御子キリストが私たちのところまで降りて来て人となり、十字架の死において最後の極みまで私たちの罪を贖(あがな)い、死からの復活を通して、私たちを罪と死の支配からご自分の御手に取り戻してくださった。そのことを知って、主イエスを救い主と信じ仰ぐ私たちは、今や、主のものであり、主の御手の中にある。

もしもイエス・キリストが私たちのところに来られなかったら、そして、私たちのために死に、復活されなかったら、私たちは神に背を向けたまま、罪のために神の裁きによって死ぬべき者であった。しかし、今は、私たちは主のものであり、主の愛と慈しみの御子に守られて生きる者である。私たちは主のものであり、生きるにしても、死ぬにしても、主のために生きる。この世にある限り、さまざまな試練があり、罪の力と死の虚無が押し寄せてくるが、私たちは恐れない。私たちは主のものであり、もはや罪と死に支配されることはないからである。生きる時も、死ぬ時も、私たちの唯一の慰めは、私たちが主のものであり、主が私たちと共におられることである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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