【インタビュー】内藤淳一郎さん 信仰は、キリストの言葉を聞くことから始まる(後編)

 

──これまでの経歴について教えていただけますか。

生まれは千葉県市川市で、母がクリスチャンでした。日本バプテスト連盟の教会で洗礼を受け、牧師の召命が与えられて、高校卒業後、西南学院大学神学部に入学しました。

──早い時期に召命が与えられたのですね。

最近はそういう人は少なく、ほとんど年配になってからで、今ではその年齢がさらに上がっています。東京バプテスト神学校でも牧師となる専攻科のコースで学ぶ人は、だいたい60歳前後。でも、今はそういう人が必要なんです。教会も規模が小さくなり、牧師をフルサポートする力がなくなってきていますから、すでに子育てを終え、仕事をリタイアし、生活に目処(めど)が立つ余裕がある人の献身が必要な時代なのかなとも思っています。

──西南学院大学を卒業されてからは?

そこで5年間学んだあと、鹿児島教会谷山伝道所の牧師となりました。その時に鹿児島大学の哲学科で学んだのですが、そこにカトリックの先生がいたので、カトリックの神学者の勉強もしました。その後、鹿児島ラ・サール高校でも教え、鹿児島教会の牧師を務めた後、連盟の指示で東京にやって来て宣教室主事となり、1976年に茗荷谷(みょうがだに)キリスト教会の開拓伝道を始め、91年までそこの牧師を務めました。その後、連盟の常務理事を8年間務め、99年に西川口教会の牧師となり、2014年に引退して現在は茗荷谷教会の協力牧師です。

──茗荷谷キリスト教会を開拓した時と今とでは雰囲気がかなり違うと思います。

私たちの時代は、神学校を卒業すると、ほとんど開拓伝道に押し出されていきました。今は伝道の力が弱いかなと感じることもありますが、あの頃は教会を作るのに、連盟が土地を買ったり建物を建てたりするお金を持っていました。まったく無から始めた開拓伝道者もいましたが、多くの場合の開拓伝道には、土地建物は用意してもらっていたので、ある意味、恵まれていたと言えるかもしれません。

──開拓伝道はどのようにされるのですか。

牧師夫妻だけで始めるという場合もあるのですが、私の場合、母教会である常盤台バプテスト教会(東京都板橋区)の当時の牧師が、「一緒に開拓伝道をしてくれる人を募ってもいい」と言ってくれ、20人くらいの信徒が参加してくれました。そして、チラシ配りから始めたところ、大学生をはじめ地域の人がたくさん来られました。礼拝には90人くらい集まりました。今は50〜60人くらいに減っていますから、あの頃は伝道をするのにはいい時代だったのかもしれません。今の牧師はたいへんですね。

──今は、教会の存続のほうに問題がシフトしているのかもしれません。

今でも開拓伝道をする牧師はいますが、地方の小さい教会の存続が難しくなってきていることは確かです。日本バプテスト連盟も、以前は330くらいあった教会が、10くらい減っています。また、連盟の牧師を養成する西南学院の神学部でも、牧師になる人が少なくなっていて、後継者問題が大きな課題です。

──その一方で、若者をターゲットにした聖書アプリなど、福音の広め方が変わってきていると感じます。

パソコンやスマホなどの普及で、伝道の方法は変わっていくでしょう。ただ、教会に導かれ、クリスチャンになった人が脱落しないようにするには、やはり信徒訓練が必要です。教会を理想化して、つまずいてしまうことはよくありますが、それでは困ります。そういう意味で、日々のディボーションを勧め、習慣づけていくことは、信仰の成長のためにも大事です。インターネットができる人たちが「クリスチャンプレス」を利用して、成長していくといいのではないでしょうか。

──毎日のディボーションに「一日の発見」をぜひ活用してもらいたいです。

聖書を読みましょう。神様の声を聞きましょう。「朝の15分があなたの人生を変える」。以前、こんなキャッチ・フレーズがありましたね(笑)。

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