12月11日「すべての人を一つに」

父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。(ヨハネによる福音書17章21節)

今日の聖句は主イエスが弟子たちのため、世にある教会のために父なる神に祈られた「大祭司の祈り」である。主イエスは父なる神に、ご自分と父とが深い交わりによって一つであるように、すべての弟子たちを「一つにしてください」と祈った。主イエスが弟子たちの群れである教会の一致を祈るのは、世の人々が教会の交わりを見て、ご自身を神から遣わされた神の御子(みこ)と信じて救われるためである。教会が分裂していては、人々に主イエスを証しすることはできない。主の弟子の群れである教会が一つに結ばれていることこそ、世に対する教会の最高の証しである。

キリスト者と言えども、一人ひとりは他者とは違う個性をもつ人間である。皆が「一つになる」とは、皆が同じような人間になることではない。主に贖(あがな)われた者であるという事実において「一つになる」のである。私たちは皆罪人であるが、主がその死によって私たちの罪を贖い、私たちを神と和解させてくださった。私たちは皆、この贖いの恵みにあずかって、罪を赦(ゆる)され、主に結ばれて「一つ」とされた。

主イエスは、教会がこの恵みの事実に立ち続けるようにと、「主の晩餐(ばんさん)」を制定された。「わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です」(Iコリント10・16〜17)。教会は、主の死による贖いの恵みによって、皆が一つに結ばれていた事実を告白する共同体である。キリスト者はこの共同体から和解の福音を携えて、世に遣わされる。

 






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