11月10日「だから、わたしも働くのだ」

わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。(ヨハネによる福音書5章17節)

ベトザタの池の回廊に38年間も横たわっていた病人は、主イエスから 「治りたいか」と言われて、 治りたいと言わず、助けてくれる人がいない自分の身を嘆いた。しかし、 主は彼を憐(あわ)れみ、 「起き上がりなさい」と言うと、彼は踊り上がって立ち、 今まで身を横たえていた床を手にして歩きだした。

その日は安息日であった 。当時、ユダヤの律法は安息日の労働を禁じ 、 これを犯した者は社会から追放された。主イエスは 「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」(マルコ2・27) と言って、律法の本来の趣旨を曲げたユダヤの権力者を痛烈に批判した。

しかし、 病気を癒(いや)された男はこの世の権力者を恐れた。床を持ち歩いたことで律法違反に問われた彼は、その責任を主イエスに転嫁しようとした。そのような彼に主は近づいて来て、 「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない」と言った。ところが、彼はその言葉に従わず、この世を恐れて主イエスを裏切った。主イエスを告白すべき時に、この世に妥協して罪を犯したのである。

その後、彼がどうなったのか記されていない。その代わりに、主イエスの今日の聖句が記される。 一人の病人を憐れまれた主は、今も、病める者に近づき、神の言葉によって生きる新しい人間を創造するために働いておられる。昨日も、 今日も、 変わることなく働いておられる主イエスの真実のゆえに、この病人が悔い改めて再起するチャンスがある。「わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」 ( Ⅱテモテ2・13)

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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