6月16日「神の深みさえも」

わたしたちには、神が”霊”によってそのことを明らかに示してくださいました。霊は一切のことを、神の深みさえも究めます。(コリントの信徒への手紙I 2章10節)

パウロはイエス・キリストの十字架を「隠されていた、神秘としての神の知恵」(7節)と言う。十字架に秘められている「神の知恵」は、人がどんなに研究しても知ることはできないからである。今日の聖句のように、そのことを知るのは神の霊による。私たちがキリストの生涯、その十字架と復活の出来事を通して私たちを救う神の知恵を知り、「イエスは主である」と告白するのは聖霊による(12・3)。また、私たちが聖書から今、語りかける神の言葉を聞き、これに答えて神を「アッバ、父よ」と呼ぶのは、聖霊による(ローマ8・15)。聖霊はみ言葉をもって私たちを神との交わりへと導く、生きて働かれる神である。

私たちが神について考えている間は、神との交わりはない。しかし、イエス・キリストを通して「わたしはあなたを愛している」と語りかける神の言葉が私の魂に届き、私が「うれしいです」と答える、そこに神との交わりがある。神は遠くにおられるのではない。神は私たちの近くにおられる。私たちが「天の父よ」と呼ぶ時、その声が大きかろうと小さかろうと、神は聞いておられる。だから、子どもが父親に話しかけるように、神の名を呼んで、何でも話せばよい。神と語る私たちはもはや孤独ではない。「わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです」(Iヨハネ1・3〜4)。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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